ブラック企業でつぶれた私に注がれたくるりのブルース

昨年の今頃、ブラック企業に勤めていた。

朝起きると百通以上のメールが来ていたり、話しかけても「そこにいない」扱いをされたり、イスを蹴られるたびに、声が出なくなる。

自分こそは強いと思っていたけれど、金曜日の仕事後は二時間半かけて実家に帰るようになっていった。

実家に着く寸前で、荷物のほとんどを会社に置き忘れたことに気付く。そんなこともよくあった。「なにかが自分を襲っていること」はおぼろげに分かっていた。

その頃、くるりの「太陽のブルース」しか聴いていなかった。敬愛する又吉直樹さんが「人生最後に聴きたい曲」と言っていたので、なんとなくiPhoneに入れた。たしかに、最後の日にふさわしい ”あきらめ感” が漂っていて、私の耳はそれを ”心地よいもの” と捉えた。

日曜日の夕方は地獄だった。泣きたくもないのに泣けてしまうのは、身体が悲鳴を上げているからと誰かが言っていた。

駅まで、母と犬が送ってくれる。
ホームに立つと、駅の外で母が手を振っていた。電車が動くとガラス越しの二人はどんどん小さくなって、とうとう見えなくなる。今日が人生最後の日だったら、この電車には乗らなかっただろう。

それでもイヤホンから「太陽のブルース」は流れる。

歩いて戻っていった 来た道へ吸い込まれた
振り返れ 前はこっちだ
声も出ない 手も振れやしない

夢を叶えるために入った会社なのだから、振り返るわけにはいかない。「前はこっち」なのだから。

毎週、それは続いた。


夜中の二時に会社からタクシーで帰宅したある翌朝、起き上がれなくなった。腕に力を入れるのか、布団を剥ぐのか、どちらが先なのかすっかり分からなくなってしまって、それが週に3回、4回、5回と増えていった。

ほどなくして、退職することに決めた。

あれだけ夢見てきた仕事を、自らの意志で断ち切るのは、とても贅沢な決断だと思った。だから、余計に悲しかった。「辞めます」と言えた日は、最も願った日のはずだったのに、なぜだか一番辛い日になった。




昨日カメラフォルダを見ていたら、一年前と同じ日に実家の犬をわしゃわしゃしている写真を見つけた。とても青白い顔。昨日のことのように覚えている一年前。風のにおいや、空気の冷たさ、会社までの道の足の裏の感触までもが、五感に急激に蘇ってきた。本当に一瞬のような一年だった。

久しぶりに「太陽のブルース」が頭に流れる。あの曲って、本当は全然応援歌なんかじゃないことに、今さらになって気付いた。来た道を振り返り、称える曲だった。

太陽は言った 今日までの日々は
永遠じゃなくて そう一瞬だったさ

「辞めます」と言ったことを後悔しなかった日は、正直一度も無かった。成功して喜ぶ自分を上から見ては起きる夜がある。きっと私は深く傷ついているはずだった。それを越えて「一瞬だったな」と自分に思わせた私は、自分を少し労ってもいいんじゃないか。

くるりは「振り返れ 前はこっちだ」と歌う。人にとっての「前」は、”続ける” とか ”夢を叶える” だけではなかった。”辞める” ”諦める” ”捨てる” とかも、大事な「前」だ。どんな「前」を向くにも、必ず覚悟と勇気が伴う。痛いほどに。

そうだ、くるりは決してキラキラ明るい前向きバンドではなくて、誰もいない路地裏を光で照らすような人たちだった。「相変わらずわけのわからないことを言う人」を許容する、善悪つけない人たちではなかったか。

私が向くべき「前」は、彼らに肯定されていた。



退職を選んで、思い描いていた計画からかなり道を外れた。けれど、全然不幸せじゃない。いま、朝起き上がれるのは、あの時 "辞める道” を選んだからだ。

これからどんな「前」が来るか少しばかり楽しみだ。後ろ向いて歩いても、私は最期の時に「一瞬だったさ」ときっと思えるだろう。くるりはそんなことを教えてくれた。

「太陽のブルース」はこんな歌詞から始まる。

大事なことは  忘れたりしないように
どこかで拾った 紙切れに書いておこう

幸いにも岸田繁さんの紙切れを拾ったようなので、私も紙切れに書いておくこととする。


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