「勇気」を持つ事が素敵?(🐟5)

「勇気をいただきました!!」

ほんっとうに沢山の方からいただく言葉。

魚鱗癬という言葉を持つ中で生きているだけで私は、大したことなんにもしていない。
けれど、皆さんにはそう言っていただくことが凄く多い。

こんな私なんかを見ていただき、知っていただき、そう声をかけていただく事は凄く嬉しい。

この言葉をいただいて、自分の存在に気付く事が出来る。本当に嬉しい言葉。

でも一方で、思う。

「勇気ってそんなに必要なの?」

テレビで、ドキュメンタリーなんかをしている。
色々な人の、生きる一部を画面越しに観てきたけれど、そーゆーのって大体

「壁にぶつかってしまう。それを何とかして乗り越える。そんな中でも乗り越えて頑張っている!」


で、番組が終わるイメージがある。
沢山の壁を乗り越えた先の、少し広がった世界を見ている人。

だから、観た人は

「勇気もらいました!私もこれから頑張ります!」

と思う人が多いのかな。

でも私は、思う事が出来ない。
私は、

「色んな人が色んな壁を乗り越えて頑張っているのに、じゃあ、私は一体何を頑張れているの?」

「みんな頑張っているのに、私は何も出来ない。」

私は何も頑張れていない。

本当は、そう思う人も多いのかな、と思ったりもする。


でも最近、素敵なご縁があり、私はあるメディアに出演させていただきました。

そこでまた、沢山の言葉をいただいた。

「本当によく頑張っておられますね!」
「凄いですね!」「よく乗り越えられましたね!」
「勇気ある行動が凄いです!見習います!」
「勇気をいただきました!ありがとう!」
(↑表現を変えて掲載しています)

ありがたいし、何より嬉しい。
あんな行動が、誰かの目に止まって、何かを考えるきっかけを作るお手伝いになれたのなら。

でも、ふと思った。

「あぁ。私は、これを観て勇気を与えるどころか、苦しめる人を増やしてしまったのかもしれない。」

私がそうだったから。

「勇気持てない自分なんて…。」

かつての私の気持ちに、思わせてしまった人を作ってしまったかもしれない。

勇気なんて、私は持っていない。
なのに、苦しめる人を作った。

私は、あのメディア出演で

「皆さんにも勇気を持ってほしい!」

という事を伝えたかった訳じゃない。

なんなら勇気なんて持たなくたって良いんだよ。

でもそれを伝えられなかった私は、また、考える。

「勇気を持つ事が素敵と思わせる世の中って何だろう。」

私は

「勇気を与える存在」

じゃなくて

「勇気なんて持てない。そう思う事がしんどいと感じる人に寄り添える存在」

に、なりたい。



--------あとがき(のような)--------

こんにちはー。山本華那です。

本業(課題)が忙しくてなかなか書けずです…。
しかも文章力低下中です。大目に見てください(笑)

今回は「勇気」について書きました。

こーゆーの書いちゃうと、批判みたいに捉えられる気がして嫌だったんですけど…。

でも、これが私の気持ちであり、心境なんです。

「メディア出演」と書きましたが、
ある地方テレビで私の他に「魚鱗癬」という言葉を持つ人を取材されており、その一環(?)という事で、取材をしてくださいました。

宣伝して良いものなのか判断しきれないので…。
私の名前を検索していただければ出てくるかもしれません!
はっきりした事を言えず、すみません。

その取材を通して沢山の言葉をいただきました。
本当にありがたい限りです。

そして、いただく中で、

「私はこれで良いのか。私と同じ想いをする人を、作ってしまったのではないか。」

と、強く感じています。
捉え方はひとそれそれだと思うので、こればかりはどうしようも出来ません。

そもそも、私ごときが誰かの気持ちを変えたと思っている事がおこがましいのですが…。

少なくとも私はドキュメンタリー番組を通して変わったので、私の目線で書きました。

話がまとまらないですし、答えが無い問いなので難しいですが、個人の意見を言うと

「別に勇気なんぞ持たんで良い。」

です。

「勇気を持つ人がかっこいい」

と、思われがちですが、別にそんなの関係ないです。
誰もかれも、生きてるだけで十分かっこいいです。

「勇気持てない」なんて言ってる人が言っても説得力ないんですけどね…。

私は、そう思います。

それでは、この辺で失礼します。
それにしても本当に何書いているか分からない…。
伝えたい事が伝わっていたら嬉しいです…ね…!

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