ありがとう、そしていってらっしゃい・・・ #1 親と子についての考察

2023年11月、私のこの世で一番大好きなコンテンツがアニメ最終回を迎えた。「進撃の巨人」だ。

「進撃の巨人」は少年と少女の冒険物語だった。己の信念と選択の物語であり、争いの物語であり、家族の物語、そして愛の物語だった。
巨人のいる世界は、私たちの住む世界の向こう側に存在しているようだった。一人一人の人生が存在し、全ての人の選択の結果、物語は進み続けた。

「進撃の巨人」は巨人の存在する世界の歴史書である。したがって、「進撃の巨人」を語るためには、ネタバレが必須である。未読勢は文章を読むことを止め、今すぐ作品を観てほしい。※以下、ネタバレを含む

世界史に関する考察に様々な切り口があるように、「進撃の巨人」という物語に関しても、複数の注目すべき観点がある。今回は登場人物の親子関係に注目した。

親と子

作品内では、様々な親子が描かれている。まずは不健全な親子を書き出してみた。

親:ロッド・レイス
子:ヒストリア・レイス
ヒストリアは王族であるロッドの妾の子として誕生。ロッドは幼少期のヒストリアにはほとんど会わなかったにも関わらず、しこたまこさえた子供が全員死亡すると王家の血筋を絶やさないためにヒストリアと接触。

親:名前不明
子:グリシャ・イェーガー
妹を殺した男に対してペコペコする父親を見て、グリシャは目眩のするような憎しみを覚える。この出来事をきっかけにグリシャは反体制派思想に傾倒していく。

親:グリシャ・イェーガー
子:ジーク・イェーガー
グリシャは反体制派思想を息子に植え付け、子ジークをスパイとして育てる。その後ジークは父親グリシャを密告する。

続いて、良き親として描かれている親子も見てみよう。

親:カルラ・イェーガー
子:エレン・イェーガー
キースに尊厳を踏みにじられる暴言を吐かれた際「特別じゃなければいけないんですか?」と毅然と反論。「だからこの子はもう偉いんです」「この世に生まれて来てくれたんだから」という残酷な世界に唯一の救いである台詞を残す。
(他に、ミカサと母親、リヴァイと母親も考えられるが割愛)

毒親、良き親、両者に共通しているのは、「親の思想に染め上げる罪深さ」であろう。親の良い面悪い面、すべてが子へと継承され、次の世代に脈々と受け継がれていく。
例えばグリシャは父親から押し付けられた世界の歴史を拒絶し、反体制派思想に傾倒するが、子のジークにも同じような思想の押し付けを行う。そして、父親グリシャを拒絶したジークも、腹違いの弟であるエレンに自らの反出生主義思想を押し付ける。
良き親として描写されていたカルラの「生まれて来てくれただけで偉い」という出生を肯定する言葉は、エレンの「他人を踏みつけても自分達が生き残る」という思想へと繋がっていく。(父親グリシャの「お前は自由だ」発言も影響していると思われるが)

私は「進撃の巨人」で描かれているもののうち、親子関係が最も恐ろしく感じる。レイス家のように、始祖の巨人を継承せずとも、多かれ少なかれ、親の思想は子へと受け継がれていくものである。愛情もその一種だ。グリシャやジークのように親を拒絶し、表面上は異なっていようとも、親と同じ行動をしてしまう。まるで呪いのようだ。

しかし、そんな残酷な世界であっても、作者は唯一の希望を残している。ヒストリアだ。
彼女は親の価値観を否定し、さらには自身の手で親殺しを行った。父親のすべてを否定し、彼を乗り越えた。その結果、妾の子として親や周りから虐げられていた彼女は、一国を束ねる王となった。
最終回で母親になった彼女は娘の誕生日を祝っている。「お前さえ生まなければ・・・」と実の母親に言われた彼女が、自身の子を愛情をもって育てているような描写で物語は最終回を迎える。次の世代へと負の連鎖が立ち切れたことを象徴する描写だった。

親と子の関係については、私たちの生きる世界でも同じことが言える。親の価値観を否定し、受け継いだ資本以上の人生を生きることは、相当に難しい。細かい部分はさておき、たいていの人は親の人生をトレースする。巨人の力のように脈々と次世代へ継承していくのだ。しかし、希望はある。ヒストリアがユミルの言葉をきっかけに、自分の人生を歩み始めたように、親の呪いを断ち切ることは不可能ではない。ヒストリアの存在は、そんなことを訴えているように私は思う。

以上が私の「進撃の巨人」における、親と子の考察である。

思った以上に熱く語ってしまったので、他の話題については、また別のページで・・・。




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