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私のエッセイは画面の向こうの誰かに、今日も読まれているんだ。

かがみよかがみさんの女子大生の日の企画にて、あるテーマで大賞を頂きました。大変光栄です。😭✨

そろそろnoteに毎日投稿をして1年というところ、この節目の時期に大賞なんて頂けて、本当に嬉しい限りです。「書く」そして「続ける」力の偉大さを身を持って感じています。

読んでくださるみなさん
いつもスキやコメントありがとうございます。🌷 ̖́-


大賞を見た時「えっ…」と驚きが2日間も続けました。信じられないといった具合です。

本当に未だに信じられませんが、Xで感想を頂き、大賞に選んでくださった編集者さんからフォロバが帰ってきて、RTもして下さって、少しずつ実感していっていました。

最近、『エッセイストのように生きる』という本を読んでいます。尾道の素敵な本屋さんで見つけて断念するも、近所の本屋で発見し勢いで買ってきたのです。そこで、こんな文章がありました。

「読んだ人によろこんでほしい」と思って書いたことはほとんどありません。

p31

この時はっとしました。

私は読者がいることを前提に書いているつもりでした。有難いことにスキも頂く。時々コメントも頂く。
それなのに、本当に画面の向こうに生身の人間がいる想像をこれっぽっちもしていなかったのです。エッセイは読まれることを前提をしているけれど、結局は私のために書いているのです。

だからこの大賞を巡って、私のエッセイはかがみよさんで掲載する際に編集者さん、また今回大賞に選んでくださった編集者さんには、確かに読んで頂いてコメントまでもらっているという事実。これを突きつけられた今です。

なんか、なんだろう。
このくすぐったいような感覚は。
本当に、私の文章は確かに読まれているんだと、
とても嬉し恥ずかしい気持ちになります。


だからこれを機に改めて、読んでいただいているという事実に嬉しくなっています。
本当にいつもみなさん、ありがとうございます。

これからも私は書き続けたい。
あわよくば今回のように誰かの気持ちを動かすようなものを書きたい。
もしかしたら私の珍しい経験が大賞に結びついているのかもしれないけれど、それも含めてのものだと思います。

私は、私にしかできない人生を歩む。
それをエッセイにする。
私だけのエッセイを、これからも書き続けたい。

そんな感謝と改めての決意でした。

▼大賞を頂いたエッセイです🚀

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