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努力は才能。でもやっぱり短所かも

「きみは努力できるという才能あるからいいじゃん」

大学2年生のときに友人に言われて、心底落ち込んだか この言葉は今でも鮮明に覚えている。
確かにわたしは人よりも努力するハードルが低い自覚はある。でも、努力を才能という言葉で片付けて欲しくなかった。


平均点も取れなかった数学で突然90点取ったり

吹奏楽部でコンクールメンバーになれないと思われていた私がコンクールメンバーになったり

大学で9割以上は2.3人いるかいないかのテストで、余裕で9割取ったり

大きな経験を挙げたけど、小さいものはもう数え切れないほどある。

就活で私の長所をアピールするなら、絶対に「主体的努力」だ。ここで上げた大きな経験も、数多の小さな経験も、すべて自分でやりたいと考えて行動した結果である。

でも、その私の長所を使って苦手なことまでもカバーしていたことが問題だった。

なんとなく、向いてないな、やりたいないな
ってことも努力という才能をもって制してきた。
だから、自分のやりたくないものも、逆にやりたいことも見えなくなっていたんだ。

◇◆◇

せっかくいい才能を持ってるんだ。

だから、これから私は、
わたしのために、やりたいことのために
その才能を使っていきたい。

私は努力できる人間だから、
なんだってできる。そんな気がするんだ。

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