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子供の時に戻ったような気がするんだ


12月08日の前回の『葬送のフリーレン』をみなさまご覧になりましたか?

「YOASOBIがOPだから」
という理由で見始めましたが、すっかりフリーレンのファンになっています。YOASOBIはもちろん、監督さんやEDのmiletさんも原作リスペクト、原作愛がものすっごくて「フリーレン、愛されてるな」と視聴する度に感じます。

そんなフリーレン、前回のお話は原作エピソードの中でも人気No.1のお話らしく、期待して見たら期待のはるか上を来たので興奮が抑えきれません。

皆さんが好きなエピソードはアニメ第14回の後半パートのお話だと思うのですが ( 私も大興奮!もう最高!ヒンメル大好き!いけめん! )、私は前半パートもかなりグッときてしまったので、今日はそちらを記事にしたいと思います。


𖤣𖥧𖥣。𖥧𖧧


理想の大人を目指して  大人の振りをして
それを積み重ねてきただけです。
きっと私は死ぬまで  大人の振りを続けるでしょう。

子供には心の支えになる大人の存在が必要ですから。
特にフェルンは努力家です。
たくさん褒めて導いてあげないと。

これはハイター(僧侶)の言葉で、その後にフリーレンが「じゃあ、ハイターのことは私が褒めてあげる」と頭を撫でてあげるのです。

このシーンを見て、思いました。
「私は子供なんだな」と。
そして「彼は大人なんだ」とも。



𖤣𖥧𖥣。𖥧𖧧


私ももう23歳です。年齢的には大人です。
でも「あなたは大人ですか?」と聞かれれば「NO」と答えます。全然大人じゃない。

実家暮らしで、家事もひとりで満足にできず
親がいることに甘えて暮らし、
学費も親に出してもらって
私はただ、「大学に行く」だけ。
まだまだ子供だなと感じます。

でもなんとなく、社会に出ても心は子供のままなような気がします。

きっとみんな、そんなんじゃないかなって気もします。


たぶんみんな、子供のまま大人になるんだ。
子供のまま、大人になった振りをして生きていくんだ。
直感的にそう感じてならないのです。


私は中高生くらいの頃から、自立したかっこいいキャリアウーマンになりたいと思っていました。バリバリ仕事して、できる人になって、一人で地に足つけて生きたいと思っていました。

それは今も、根本的には変わりません。
でも、この歳になって、その難しさを肌で感じる。例え私がバリバリのキャリアウーマンになっても心はずっと私のままなんだと思いました。


自分で言うのもなんですが、私は努力家だと思います。自分の夢や目標に向かって、ひたすらに努力する。でも私ができることはそこまで。私がそう生きてこれたのは、大人の支えがあったから。

今だってそうです。ようやく終わりが見えてきた就活。ここに来るまで、彼に導いてもらった感があります。もちろん、選択して行動して、結果がでていることは全て私がやったことだから乗せられたとは違うけれど、私が良い方向に歩んで行けるようにしてもらったような気もする。就職しても、その先どうなるか・どうするか、なんて結局自分次第であるし。それに途中、辛いことや大変なこともたくさんある。その節々でも助けてもらい、また褒めてくれるように頭を撫でる。「みずちゃんはよく頑張ってるよ〜大丈夫だよ〜」と。
そうやって来た道だけど、私はこの道を選んでとっても良かったと思っています。

これそのまんま、彼の言動に「大人だな」と感じてた。そして私はまさに、子供になったみたいだった。純粋に甘やかすとは違う、なんとなく、そんな気がする。

就活もそうだし、その前も彼にはめちゃくちゃ迷惑をかけている。私のわがままに付き合わせて怒られたこともある。

そういったこと全部が、まさにこの時のハイターの言葉に重なって、思わず泣いてしまいました。
「あぁ、私はこんなにも支えてもらっていたんだ」
と思うと同時に、「じゃあ彼のことは私が褒めなきゃ」いけないし、「子供になっていいんだよ」と伝えたいと思いました。

でもね、褒め方が分からない。
大人でいるってきっと大変。自分の気持ちを押し殺したり、そんなことは当たり前なんだと思います。でも、そんな思いをさせたくない。
どうしたらそんなことしないでいられるのかなと思う。

今、大人として生きている人みなさん、すごいなぁと思う。本当にお疲れ様です。たまには子供になってもいいと、子供の私は思います。


𖤣𖥧𖥣。𖥧𖧧


前回のフリーレンへの愛を語る記事も良ければぜひ。

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