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268【若者は育てるものであって評価するものじゃない】

「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。」アインシュタイン

いまやブラック企業だと言われる学校は、教師が楽できるような手間のかからない人間を作ることが目的であるかのように、授業の技術、ネタ、実践書が書店に賑わっている。それも大事。だは、働き方を良くしようと考えるのは、行政や管理職の役割だ。現場の教師を多忙感から救え。
どうやったら人材育成できるのか?いままでの教師教育はそればかり考えて、議論している。よく読むと本質は、教師が学校で子どもたちと一緒に楽しく前向きに仕事が出来るようになるか。
教師が一緒に楽しく前向きに仕事が出来る存在になれれば、子どもたちが熱中してどんどん伸びていく。育てているのは人であり、大切にするのは心。「大丈夫。」と信じ切る。認め合える環境がつくれれば…そういう環境をつくれる人になりたい。
人は活かすものであって選ぶものじゃない。若者は育てるものであって評価するものじゃない。活かせば応えてくれる。育てれば応えてくれる。人とはそういうもの。活かしも育てもしないならば、上司というものの存在する意味がない。

異業種と交流するから、ロックオンしている自分に気付く。心理的盲点。スコトマ。身内ばかりの自画自賛講座なんて行く価値も、モヤモヤする必要もない。仲良しごっこの同志なんてつくりたくない。まぁ、がんばれ。
40代は人生の折り返し。そして棚卸ししなくてはならなくなる。50代の大先生は、認めてくれる、◯をくれる仲間を3つつくって不惑になる。自分がぶれそうになったら、どこか◯をくれるところへ行けばいい。情報や評判は異常なほど溢れかえっている。そんな時代ももう終わる。
承認されたいことを第一にどんなに駆けずり回ろうと、どんなに著書を書こうと、どんなに仲間を集めようと、それは運を浪費しているだけ。自分を認め、とことん自分に付き合って、自らの学びの目的のために突き進む。初心を貫く。遠回り、回り道のように思えても、運をつかむのは、そういう人だ。

教師は、もっと外に出ろ。10年後の社会を、子どもたちを追え。いま当たり前だと躍起になっていることの多くは、どーでもいいことになっている。学校では、もっともっと古典をやったらいい。
アクティブ・ラーニング時代、「バカだ」「時代遅れ」と言われようと、いまこそ「問題解決的な学習」を徹底したい。①課題の把握②予想・解決への見通し(仮説)③実験・観察④考察⑤まとめ(一般化)。ほんとの問題解決的な学習、見せてやる。

いま必要な「ゆとり」とは、物質的な金銭的なもののことではない。「心のゆとり」だ。「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」が言える。生活にある「ゆとり」。子どもと接し、理解するには、人間性を高めたり、生活にゆとりがあることが重要で、心を豊かにする。人の道が問われる。

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