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ミールス【1】 バナナ葉皿の北限

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


昼の混みあう大衆食堂。人垣をかき分けてクーポンを買い(昔ながらのインドの大衆食堂はクーポン式が多い)、空いた席に腰かけるとほどなくして給仕係がサッとバナナの葉を敷いてくれる。傍らのコップ水を右の手の平で受け、上から打ち水の要領で万遍なく水滴を散らしたのち、葉の表面をササーッと右手側面部を使って広げるように拭いていく。余った水滴は葉を両手で持ち上げて机の上に滴り落とす。その上にまた葉を置き、料理がその上に置かれるのを待つ。

やがてご飯を入れたホットポット、サンバルやポリヤル、クートゥが入ったバケツ類を抱えた給仕係がやって来て、葉の上にそれらおかずを無造作に置いていく。ポリヤルが置かれた位置を正したり、山状のライスを平らにならしたりしながら自分好みのビジュアルに修正しつつ、「いただきます」をいう訳でもなくおかずを混ぜ合わせたライスをおもむろに右手で口へと運ぶ。この、ある程度ごはんとおかずが決まった定食をミールスと呼ぶ。昼時になると店の外には「ミールス・レディ(ミールスの準備が出来ました)」の看板が出る。

ミールスのサーブが近づいてくるとワクワクする
老舗食堂がかかげたミールス・レディの看板


この南インドの昼時を象徴する食事が、いつ頃からミールスと呼ばれるようになったのかは何人かの南インド人有識者に聞いてみたが分からなかった。洋式食器を一切用いず、いかにも伝統的なスタイルであるかにみえるこの料理スタイルがなぜ「ミールス」という英語呼称なのか?

もともと南インドのヒンドゥー教徒の間では、婚礼は寺院で行われていた。その際、招聘した親族や友人ら客人に対して、寺院内で宴席料理を馳走する習慣が今でもある。一列に座った客人たちの前には真新しいバナナの葉が置かれ、有志たちによって大鍋で作られた菜食料理をバケツに入れて一人一人サーブしていく。現在の食堂の原型であるが、この寺院における食事も本来「サーパル」などと呼ばれて「ミールス」とは呼ばれない。おそらく金を取って食事を食べさせる、という今では当たり前の商売がかつてなく、英領下のイギリス人によってはじめられたレストランという新しい業態を模倣・継承してはじめたために呼称もイギリス式に倣ったのではないだろうか。インド固有の単語ではなく、わざわざ外来語を用いる理由はそのようなところだろう。

バナナの葉を用いない、ステンレスやメラミン皿に盛り付けられた定食料理もまたミールスと呼ばれる。つまりバナナの葉は十分条件ではあるが必要条件ではない。それでもやはり青々とした生のバナナリーフに真っ白なライス、茶色いおかず、というのが一般的なミールスのイメージだ。では皿としてのバナナの葉を使用する食文化圏はインドのどのあたりなのだろう。それは、ミールス≒バナナの葉皿食文化圏を探る旅でもある。

タミル、ケララ、カルナータカ、アーンドラの南部4州は完全なるバナナの葉皿食文化圏である。これに異論のある人はなかろう。そこからゆるやかに北上していくと、オディシャに到着する。インドを陸路でゆっくり旅していると「この辺りが文化の境界かな」というのを肌で感じる時がある。オディシャ州が正にそれで、軽食などには色濃く南インドの影響を感じさせながら、魚食の多用は東インド文化圏を思わせるし、小麦食も併用していて北インドに入ったことも感じさせる。インドには各地で独特の文化が華開いているが、いくつかの場所にはそれらがグラデーションのように入り混じる緩衝地帯が存在する。オディシャとはまさにそんな地域であり、バナナの葉を使ったミールス食堂なんかもあるのだ。

オディシャのミールス食堂


さらに北上するとベンガルに入る。出されるおかず類はジャガイモのバジ、ダールなどと南インドとは違うものの、ここでも大衆食堂ではバナナの葉が使われているところが多い。このバナナの葉を使う理由を無作為に聞いてみると、炊いたばかりの温かいご飯を葉の上に置いた時に発生する、米と葉の入り混じった何ともいえない香りがたまらないのだという。しかもヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒も同じことをいう。ミールスの発生がヒンドゥー寺院での宴席食ということを考えると不思議な気もするが、しかしインドのイスラム教徒も数世代さかのぼればヒンドゥー教徒である。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒とを文化的に別モノであると考える方が不自然なのだ。特に食習慣などという教化が深く届かない部分においては、改宗する前の、基層的な一つのインド人としてのアイデンティティが色濃く顔をのぞかせる。

バナナの葉で食べさせるコルカタの老舗食堂


私自身が目撃したバナナ葉の皿利用の北限はこのあたり(コルカタ周辺)なのだが、聞いた話ではメガーラヤ州の州都シロンやネパールでも婚礼時の宴席で用いられるようだ。そこにはやはり南インドと同様、敷かれたバナナの葉の上に真っ白いライスが置かれ、おかずが置かれる。こうしてみると、バナナの葉と米食との間に何らかの関係があるようにも感じてくる。これも「ミールス」同様、その理由を地元の人たちに聞いたところで正確なところはわからないのだが、インドの中でバナナの葉皿を使う地域は見事に米食文化圏と重なるから不思議である。






小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com


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