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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(12) 第三章 アドベンチャー・ライフ (4/5)


2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(11) 第三章 アドベンチャー・ライフ (3/5)はこちら


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第三章 アドベンチャー・ライフ
初めてのキャンプ


 大阪で生まれたボクにとって、一番馴染みの深い海は、神戸の須磨海岸である。
 幼いときから家族や親戚に連れられて、よく海水浴に行ったものだった。大阪市内から1時間ほどの距離にあるので、日帰りでも十分に愉しめる。瀬戸内海に面しているので波も穏やかだ。海水浴のあとは、お決まりのように神戸の街を歩いた。三宮から元町に至る国鉄(JR)のガード下に建ち並ぶお店を覗いたり、小さな商店街にあるお好み焼き屋で、名物の明石焼き(たこ焼き)を食べたりした。
 
 18歳になって車の免許を取り、初めてドライブをしたのもこの須磨海岸だし、大阪のディスコで騒いだ後、深夜のドライブで須磨までやってきて、夜が明けるまで海岸で過ごしたりした。このように須磨海岸は日常の中の海として、深くボクの生活に関わっていた。
 だが夏休みの長い休暇には、もう少し遠くまで足を伸ばした。
 フェリーに乗って淡路島に行くこともあったし、南に車を走らせて、和歌山の白砂の海に行くこともあった。また透明度の高い海といえば、日本海の若狭湾で、若狭湾の舞鶴では、岩場の海を潜って、サザエやウニを捕ったりした。
 息を止めて4メートルほどの深さまで素潜りで頑張る。水中メガネを通して見るサザエやウニはとても巨大に見えるのだが、陸に揚げてみると、実際にはその半分ほどの大きさしかなくて、それを認める度に落胆したものである。
 人生で初めてのキャンプ体験をしたのは、和歌山の加太(かだ)の海岸で、小学校4年生の時だった。小学校6年生になる親戚の兄貴と、ボクと同い年のその弟、そしてボクという3人組で、自分の身体と同じくらいある大きさのリュックに、3泊4日のキャンプ道具を一杯に詰めて、夏の暑い日に大阪を出発した。
 難波の駅から出ている南海線を乗り継ぎ約3時間、ようやく和歌山に着くころには身も心も疲れ果て、半分脱水症状のような状態。到着後すぐに駅前で飲んだヒヤシアメの味と冷たさは、今も忘れられない。ヒヤシアメとは関西方面の名物で、ショウガ味の飲み物である。関西では夏の代表的な飲み物で、夏の風物詩ともいえる。味は炭酸のない、「和製ジンジャーエール」といったところである。
 そのキャンプの時の「味」で、もうひとつ忘れられない、記憶の奥底に残った「味」がある。それはチキンラーメンの味である。
 和歌山の加太海岸でキャンプをして二日目の午前中、ボクと同い年の親戚は、テントの張ってある砂浜の海岸から、2人だけで遠くに遠征(といっても、今にして思えばたいした距離じゃないのだろう)をして、砂浜の端にある岩場の海岸まで行ってみた。
 そこには小さなカニやフナムシが一杯いて、そのカニを捕まえようとしたボクは、岩場のフジツボで膝に切り傷を作ってしまった。そこに海の塩水が滲みてとても痛い。
 痛さを我慢して、キャンプ・サイトに戻る。そして親戚の兄貴に傷を見せた。
 「あ~、たいした傷じゃないけど、これは滲みるな……売店に行って真水をもらって来い。そしてその砂と血をよく洗い流して、今日は海に入るな。そしたら明日には治るよ」
 兄貴はそういって、キャンプ場の受付でもある、ビーチの後方にある松林の中に建てられた簡素な売店を指さした。
 ボクは兄貴の言いつけ通り、売店まで真水をもらいに行こうとするが、適当な入れ物が見つからない。仕方ないので、取っ手のついた小さなナベを持って、その売店まで行った。
売店の受付のオバサンに傷を見せたら、水道のホースを使って、ボクの膝を丁寧に洗ってくれた。
 でもせっかく水を入れるためのナベを持って行ったので、そのナベにも水を入れて、テントサイトに戻って行った。
 そしてそのナベをポールに引っ掛け、そのままにしておいた。
 太陽の位置がどんどんと高くなり、夏の日差しが容赦なくボクたちを照らす。兄貴とその弟の2人は暑さから逃れて、目の前の海で気持ちよさそうに波と戯れている。ボクは兄貴の言いつけを守り、じっと暑さに耐えている。
 そうしているうちに、いつのまにか眠ってしまった。
 どれくらいだろう? 1時間かそれ以上、2時間近くたっていたのかもしれない。暑さと、流れるような汗で目が覚めた。さきほどよりは少し日差しが弱くなったが、それでも真夏の太陽は力強く輝いている。ボクは膝の傷の痛さより、背中の日焼けの痛さが気になりだした。起き上がってあたりを見回す。が、兄弟の姿が見えない。

 どこに行ってしまったのだろう?
 ふと、小さなナベに目が留まった。すると、どうだろう、ナベの中の水が沸騰しているではないか! 太陽に熱せられて、ナベの中の水が泡立ち、かすかに湯気まで上がっている。ボクは指を入れてみた。
 アチッ! 相当に熱いぞ。
 そこでテントの中に潜り込み、リュックの中をまさぐる。テントの中もサウナのような熱気で、ほんの数分、中に入っているだけで、汗が滝のように流れ出す。
 汗にまみれた手で、目的のものを探し出した。
 テントから這い出て、チキンラーメンの包紙を剝がす。そしてその手で、そのままチキンラーメンをナベに入れ、アルミのペラペラのフォークで素早くかきまぜた。
 チキンラーメンの香りが立ちのぼる。
 急におなかが空いてきた。そういえば、まだお昼ご飯を食べてないもんなぁ……ラーメンをかきまぜたフォークで、ナベの中のラーメンを食べ始める。ウーン!ナカナカいけるぞ、これは。ソーラー・ラーメンである。スープまでぺろりとたいらげた。
 ちょうどラーメンを食べ終わったころに、兄弟が戻ってきた。
 「おー、起きたか。さっきは気持ち良さそうに寝てたから、俺たちは先に昼メシを食って来たぞ。オマエも売店に行って、なにか食ってこい」と兄貴が言った。
「いや、オレももう食べたよ」
とボクは満足顔で答えた。
 あれからいろいろな海に行った。国内の海に加え、バリ島のクタ・ビーチやバハマのカリブ海など、海外の海にも行った。タイのプーケット、コサムイ、それにライレイビーチなど、美しいビーチは世界中に存在する。だがあの少年の日の、和歌山の加太の海岸の、すべてを白く輝かせるような強烈な太陽の光が、いつでも瞼の裏に浮かぶ。 
 きっとゴミの一つや二つ、いやもしかしてそれ以上、ビーチに落ちていたかもしれない。が、記憶の中の加太海岸は、どこまで美しい白い砂浜が続き、その砂浜は真っ白に輝いている。



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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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