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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(3)  第一章 旅へのあこがれ (2/4)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を全文公開します。


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第一章 旅へのあこがれ
旅先でのつらい思いこそが醍醐味

「例えばグアムやハワイに行って、ビーチやプールサイドで寝っ転がって、買い物を愉しむだけのような旅は、ホントの意味での旅とはいえないよ」 
 旅慣れたモデルの先輩に、「今度、初めて海外に行こうと思っているけど、どこか暖かい南の島に行きたい。お勧めはありますか?」と訊ねたら、そんな答えが返ってきた。
 さあ、困った。質問の前は、まさにグアムかハワイに行こうと目論んでいたのだ。
 「じゃあ、どういうところに行けば、旅っていえるんですか」と落胆気味に質問をすると、彼はこう言った。
 「まずは大きなカルチャーショックを受ける場所。次にその旅を自分でコーディネートすること。つまりツアーなどには参加しない。そして次がもっとも大切なんだが……」と言って、その先輩はニヤリと笑った。
 「その旅でつらい思いをすることだ」
 23歳の春だった。
 前年の冬から交際していた彼女(後に妻になる)と、どこか暖かい南の島に行こうということになった。ボクにとっては初めての海外。彼女の方は仕事(やはりモデルだった)を兼ねて、何度か海外に行っている。だが彼女にその旅のプランを任せたくはない。初めてでも、自分の意見を通したい。そういう性格が素直じゃなく、可愛げがないのもよく分かっている。少年漫画の影響はすぐに受けるクセに、彼女や友人に対しては意地を張る傾向にある。
それは還暦を迎える今になっても変わらず、今では子どもたちや孫たちに意地を張る時もある。
 まあ、己の性格分析はここではどうでもいい。なにしろ、初めての海外の旅の主導権を握りたかった。で、こっそりと先輩のアドバイスを受けようと思ったが、既述の通り、アドバイスを受けるより厄介な状況に陥ってしまった……という訳である。
 まずはカルチャーショックだ。今ではよーく、理解できる。そして今ではよーく、人に同じアドバイスをする。だが、その当時はその言葉自体の意味をあまり理解していなかったし、何故、「海外の旅において文化的衝撃」を受けなければならないのか? ということが理解できなかった。
 そしてそれより、さらに理解に苦しむこと。「何故、わざわざ高いお金を払って海外旅行に行き、つらい思いをしなければならないのか?」
 好きな彼女と初めての海外旅行に行くのだ。チャラチャラと愉しみたいではないか。ウキウキと浮かれたいではないか。何故、つらい思いをしなけりゃならないんだ?
 その先輩に相談したことを悔やんだ。が、悔やんだが、その先輩と一緒に酒を呑む時に、彼が聞かせてくれる旅の話に胸が踊ったことも事実だ。その話の多くは、北海道に向かう機中で読んだ、開高健のコラムに通じるモノが多々あった。
 さあ困ったどうしよう?
 結果的に、我々はインドネシアのバリ島に行くことに決めた。今では「南の島のリゾート」の代表的な存在のバリ島ではあるが、35年前は「神々の島」とか「地球のヘソ」とか、かなり神秘性を持った島として、少ないながらメディアなどで紹介されていた。が、そのことよりもバリに行くことに決めた大きな動機は、夕陽の美しさであった。
 当時、ボクは『ポパイ』という雑誌にモデルとして頻繁に登場していた。編集部スタッフとも懇意にしていただき、公私共に付き合いもあった。で、その中の一人がバリ島に取材旅行に行き、ボクにこう言ったのだった。 
 「バリの夕陽は世界でもっとも大きい」
 確かにバリ島は赤道直下に位置する。科学的根拠からしても、バリ島の夕陽は大きいに違いない。が、彼の口から語られるバリ島の夕陽の大きさは、決して科学的根拠だけではなく、もっと深淵なるロマンが感じられた。(と勝手に感じただけかもしれぬが)
 さっそく旅の計画を練り始める。
 ツアーには参加しないが、飛行機とホテルがセットになったチケットを購入した。そしてちょうど友人の友人の、そのまた友人のツテを頼って、到着した空港からホテルの送迎だけは頼んだ。あとは現地で勝負である。
 長い、長いフライトを経て、我々2人は夕刻のバリ島、デンパサール空港に降り立った。話には聞いていたが、ボクが幼かったころ、つまり昭和40年代の日本を感じさせる雰囲気が漂っている。その最たる存在は空港周辺の裸電球である。ボクが育った地域では、5の付く日は「夜店」といわれる、縁日みたいな催しがあった。決して祭事にまつわる催しではなく、ただ単に5の付く日に露店が並んだだけである。露天の軒先には裸電球が寂しそうな光を発し、食べ物や衣料など、さまざまなモノが売られていた。小学校5年の時に、その夜店で、生まれて初めて革靴を買った。かなり安価で買ったのだが、翌日、明るいところで確認すると、右が濃い茶色で、左が黒だった。それ以来、夜店にいいイメージはない。が、今、初めて異国の地に降り立ったボクは、まさに鮮明に、生まれ故郷の夜店を目の前にしていた。
 到着早々、例のカルチャーショックを受ける。
 持って行ったラジカセを税関に没収されたのだ(理由は分からぬ)。翌日に日本円で1500円ほど払うと、そのラジカセは戻って来た。我々が宿泊したホテル(というより、夜中にゲッコーという爬虫類が、チーチーと鳴き声を上げる、ジャングルの中のコテージ)の部屋には、テレビもラジオもなかった。そこで10日間過ごすのに、ラジカセはなくてはならない存在だった。
だから躊躇なく1500円を払って返してもらったが、これがなんらかの賄賂に繫がっていたのかどうか、その時も分からなかったし、今でも分からない。
 バリ島では、日本とは違った「お金のやり取り」があることも知った。

 すでに言ったが、ボクは大阪生まれだ。大阪人は日頃から値切ることに慣れている。だから売り手の提示した額面を、少しでも値切ることに抵抗はない。が、ここバリ島では、最初に出してくる額面が、実際の支払い額の10倍以上であることに驚いた。例えば、ビーチに居るといろいろな物売りがやって来て、執拗に購入を勧める。で、幾らかと訊ねると、最初は1万ルピーとか言っていても、最終的には1000ルピーくらいで購入することができるのだ。
 だがこれにも一つの「決まりごと」みたいなモノがあり、こちらが日焼けしていると、最初の提示額が実際の3倍から5倍くらいからスタートすることになる。つまりバリ島に来て間もない観光客は吹っかけられ、滞在に慣れてくると、こなれた額を提示してくるというわけである。そしてこれは後々になって知ったことだが(実はボクはその後、バリ島に4回も行った)、ビーチに物売りに来るのは、小学生くらいの子どもも多数いるのだが、彼らは、
観光客との値段交渉によって、語学、慣習、性格などを学んでいるという。確かに、オーストラリアからの観光客が多いバリ島では、現地のバリ人もオーストラリア訛の英語を使う。なるほど、彼らは学校ではなく、現場で学習しているのである。

 バリ島到着の翌日、ボクは現地で小型バイクの免許を取得した。免許取得のための試験は実技と筆記の二つの試験がある。が、実技といっても、小さく描かれた円の周りを、足をつかないで時計回り、反時計回りで回れば合格。筆記は3択で5問あり、バイクのレンタル屋が、その日の答えを予め教えてくれた。
 というわけで、我々は島を走り回るための重要な足を手に入れた。
 我々はクタ・ビーチという、バリ島の西側のビーチに滞在したが、そのビーチから見える夕陽は噂に違わず美しく、サンセットの時間には、物売りたちさえも、静かに水平線に沈みゆく夕陽を見守っていた。
 早朝はクタ・ビーチを裸足でランニングして、朝食の後は、バイクに跨って島のいろいろなところに出掛ける。当時はまったく開発されていなかったヌサドゥア・ビーチ、高級ホテルが建ち並ぶサヌール・ビーチなどにもバイクを走らせた。が、どこよりもバリ島らしいのはそれらのビーチではなく、山の中に佇むウブドという村で、渓谷の斜面に作られた水田が緑に輝き、そこで村人たちが農作業に従事する姿は、なんだかとても平和で懐かしい情景に思えた。

 この初めての海外旅行で、自分は本当にカルチャーショックを感じることができたのだろうか?つらい思いはあまりしなかったと思うが、彼女が旅の疲れからか、ウブドのレストランで腹痛を起こした時には、とても焦った。親切なレストランのオーナーが、子ども部屋を貸してくれて、そこで横になったらすぐに彼女は回復したが、旅先での温かな人情に触れるいい機会に恵まれた。こういうエピソードも、おそらく後に深く心に残る思い出として蓄積されるのだろう。
 ところで、テストの回答を教えてくれたレンタルバイク屋が、レンタル時にオーストラリア訛の英語で、ボクに何日間バイクが必要か訊ねた。
 「ハウ・メニー・ダイ?」
 それを聞いてボクは当然のように答えた。
 「一台!」
 相手はきょとんとした顔をしている。
 ボクは周辺に日本人の姿がないかどうか確認しつつ、少し赤面しながら、言い直した。
「10days」


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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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