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【両親と考える終活】もしもの話は不謹慎じゃない。最期を彩るための大切なミーティングだ。

私には兄弟が居ない。
10代後半から私はその事実に少し不安を覚えている。そう遠くない未来、私に家族は居なくなるのだ

そんな不安を持ち始めて10年、最近私は両親の就活ミーティングをするようにしている。
「あなたが死んだとき」という仮定を突きつけるのは少し抵抗がある、という人もいるかも知れないが
私は命を見送る者として想定をすることは必要と考えている。そして可能な限り当人たちが元気な間に話し合いを設けるべきだと思う。

そんな私がここ数年、両親と話し合っている終活ないよについて共有していきたい。


1.もしもの時の連絡帳をつくってもらう

私は、実家を出て10年になる。実家にいたときは手に取るように把握できていた両親の交友関係も今はどうなっているか分からない。
親戚も比較的多い家系なのだが、正直、誰がまだ元気で、誰が亡くなったのか、さらにその人が私にとってどんな関係に値するのか。訳が分からなくなっている。

最近は、亡くなってから風の噂でその報せを聞くことも多いようだが、個人的には最後のご挨拶として、当人のお世話になった人にはしっかりと連絡をしたいと思っている。
だから私は、もしもの時の連絡帳を作ってほしいとお願いしている。

2.永代供養について話しておく

私は女の一人っ子である。本家である我が家は、私が婿を迎えない限りここで途絶えることとなる。
私の目の黒いうちは、自分の育った町の毎週掃除をしに行っていた墓を守るつもりだ。
しかし、私の子供、孫にそこまで負わせるつもりは全くない。私が衰えてきたとき、この家の墓は永代供養に回させてほしいとお願いをし、了承を得ている。今はお寺さんで永代供養の基準を作るところもあるそうだが、できる限りは家のことは自分の意志で決めておきたい。

3.ご希望があれば遺書を作成して欲しい

今は、実家の墓に入りたいという女性も増えているらしい。
でも基本は嫁いでいる訳だから、体裁的には父方の墓に入るのが定石だ。どうしても願望があるのなら、周囲の親族が文句を言えないように必ず文章に残しておくように伝えている。
墓以外の要望もあるならあるなら、必ず書いておいて欲しい。

4.親戚付き合いは出来るだけ声掛けしてもらう

実家を出ている以上、正直親戚と顔を合わせるのは法事とお盆程度だ。
今の時期は自粛しているが、親戚まわりをする際は出来る限り同行させてほしいと願い出ている。

私の仕事は不定期でそういった際にスケジュールを空けられるかは賭けなのだが、「できる限り」を大切にしている。
両親がいなくなれば私は一人だ。最低限コミュニケーションが取れる状態には居続けたい。

終活はオープンに、一緒に創り上げていくものだと思う

もしも両親がいなくなったら、正直考えたくない想像だ。でもその時は確実にやってくる。
想像すると悲しくなるのだが、私はちゃんと向き合いたい。私たち命あるものの最後の一大イベント、しかも当事者が主役のものだ。

その時が来たら、思う存分悲しみに暮れたい。周囲と思い出を語り、感謝の時間を大切にしたい。そのために、今できることは語らうことだと思う。

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