『裸の聖書』25.『神聖なる』屠殺とフェイクニュース:実在しない出エジプト記の紅海 -1
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キリスト教でいう10の戒めは人類に課せられた神聖な規則などではなく、実際には特定の小さな集団に与えられた、振舞い方に関する一連の指示に過ぎなかった?
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『神聖なる』屠殺とフェイクニュース:
実在しない出エジプト記の紅海 -1
「生贄について語るとき、聖書の神は常に非常に正確である。彼は極めて詳細で実践的な指示を与えるが、その理由の一つは、犠牲者の特定の部分を自分自身のために欲したからである。」 レビ記3章では次のように指定している。『 彼は聖餐の犠牲の一部を、ヤハウェのために焼く食物としてささげる:内臓を覆う脂肪、内臓のすべての脂肪、両方の腎臓、腎臓と腰の脂肪、肝臓と腎臓から取り除いた脂肪のかたまりである。』
『料理に関する』指示もある。
『アロンの子孫である祭司たちは、燔祭のほかに、これを祭壇の薪の上で焼く。』
直接的な説明もある。『それは食物の捧げ物であり、主が満足される香りである。』この旧約聖書の『主』はまさに奇妙な存在で、このような地上の香りに情熱を傾けている。
バーベキューに何か崇高なものがあるはずだ。そうだ、しかそれは何なのだろうか?
マウロ・ビグリーノは何年も前にからこの問いを自問し始めていた。一見難解に思えるテキストの魅力に惹かれたからだ。
サンパウロ出版社で翻訳者として働く以前から、ヘブライ語を学ぶことで多くの疑問は解消された。
レビ記には『*満足させる香り』とある。
(*日本語の聖書ではpleasing=香ばしいと訳されている)
「実際ヘブライ語で 『満足させる(pleasing)』とは『リラックスさせる』『落ち着かせる』という意味だ。これは民数記の28章に非常に明確に述べられている。そこでもまた、犠牲について言及し、ヤハウェは火で焼かれた犠牲でなければならないとはっきり言っている。その香りは甘く主にとって満足のいくものであり、『主をなだめる』ほどのものだ。」
この概念は、この章で何度も繰り返されている、とビグリーノは指摘する。ヤハウェに対する煙の鎮静効果は何度も確認されている。
科学的な説明は可能なのか?
「脂肪が燃焼して発生する煙には、非常に特殊な分子が含まれている。その構造は、脳がストレスを受けて落ち着く必要があるときに生成されるエンドルフィンの構造に似ている。」
では、ヤハウェは興奮していたのか?
彼は本当に毎日『落ち着く』必要があったのか?
ヤハウェだけではなかったと、学者は説明する。「このような煙の嗜好は、古代民族が神々に捧げる生贄の物語に多く見られる。たとえばシュメール人は、大洪水の後、ウトナピシュティムあるいはジウスドラと呼ばれたノアが、そこにやってきた神々に大量の動物の生贄を捧げたと語っている。」
シュメール・アッカド語のテキストには、まさにそう書かれている。神々は『ハエが肉に群がるように煙に引き寄せられて』駆け寄ったという。
どうやら、この習慣は当時のすべての神々を特徴づけていたようだ。
「同じことが、大量虐殺が祝われたギリシャの神々に関する物語にも強調されている。また、ホメロスの詩にも、神々を満足させるあの有名な煙を出すために、動物のどの部位をどのように焼くかが詳細に描写されている。そして、それは人間だけが行う特別な仕事だった。神々がそれを要求したのだ。」
地中海全体、さらにはその向こう側まで、このような奇妙な野外料理の匂いが漂っていた。
「ローマ神話の神々も、ケルト神話の神々と同様に、このような要求を持っていた。ストラボンのような歴史家によれば、ケルト人は捕虜を生きたまま焼き殺し、その悲鳴が聞こえないように歌い踊ったという。」
正確には『ケルト音楽』ではない。
「歴史家はまた、ケルト人がそうしたのは、それが彼らの神々によって正式に表明された明確な要件だったからだと語っている。」
それが意味するのは:『それは彼ら自身の快楽のために成された野蛮な行為ではない。神々が人質を生きたまま焼くことを要求したのだ。』
礼拝の儀式におけるヤハウェの『回転ロースト肉』について詳述するのは非常に困難だ。このロースト肉には、ある時期までは新生児も含まれていたが、後に羊肉に限定された。 臣民の服従を確認した後、『ボス』は幼い子羊だけを受け入れ、人間の赤ん坊は除外された。
この点は、彼の『同僚たち』の習慣と大差はない。どうやら、翻訳不可能な名前を持つすべての個人が、どうしてもその煙が必要だったようだ。
その実際の理由は推測することしかできない。これらの分子は、おそらく地球の条件に適さない彼らの生理機能を補ったのだろうか?
これは、『古代の宇宙人』理論の信奉者たち、つまり支配者たちの起源が地球外にあると確信している人たちには共鳴する考えだろう。
マウロ・ビグリーノはその話題については沈黙を保ちたいようだ。
わたしたちはその情報を持っていない、と彼は言う。「聖書はその支配者たちがどこから来たのか説明していない。」
少なくとも、特にヤハウェの場合についてだが、彼らの個人的な、そしてその他の日常的な要求については非常に詳細に述べられている。社会生活を規制するために、最大限の規律をもって従うべき厳格な規則について、極めて正確に語っているのだ。
「キリスト教では、神は10の戒めを与えたと教えられている:しかし実際には、ヤハウェがその民に与えた戒律は613である。そしてそれらはすべて、臣民を創造する必要性、民を規則で統一する必要性、特に初期の段階では、出エジプトの不快な砂漠での生活を余儀なくされた民の忍耐と秩序を両立する必要性に関連した戒律である。」
613の戒律の多くは、本質的に衛生と清潔に関するものである。「いわゆる聖書の神は、彼の民が病氣や伝染病などで絶滅しないように細心の注意を払っていた。」
他のいくつかの掟は、不安や内部紛争の可能性を回避することを目的としていた。隣人同士のいさかいは厳しく禁じられていた。暴力のリスクは徹底的に回避しなければならなかった。
金銭、食糧、女性をめぐる争いで突然陣営が混乱に陥れば、深刻な問題になっていただろう。
「後に教会で使われるようになった同じ戒律は、この特定の民が守らなければならない禁止事項に関するものだったが、それ以外の人々との関係には適用されなかった。」とビグリーノは続ける。
これは重要な一節である。モーセの規範は全人類に適用されたわけではない。それは特定の集団を構成する者だけに適用されたのである。
「殺人や窃盗の禁止、および他人の動物や女性の略奪の禁止は、内部の争いを避けるという目的を果たした。しかし同時に、聖書全体は、征服の戦いの過程で他者から奪った品物で何ができ、何をすべきであったかを明確に伝えている。」
これらの戒律の中には、明らかに人種的な意味合いを持つ掟があると学者は指摘する。「モアブ人、アンモン人、アマレク人、ミディアン人など、他の民族がすべてアブラハムの家系であったとしても、他の部族に属する女性と関係を持つことは禁じられていた。」
これらの行為(盗んではならない、殺してはならない)の禁止は、聖書が『あなたの隣人』と定義する人々に関連していた。
「この概念はその後、神学的に拡大され、人類全体として理解される『他者』を包含するようになった。」
これは間違いである。「実際には、ヘブライ語のこの用語にはそのような意味はない。それは明確に『あなたの隣人』、つまり同じ氏族、部族、または家族に属する人を示している。」
要するに:人類に課せられた特定の『神聖な』規則などないのである。
もっと平たく言えば、エジプトからの脱出に苦労している小さな集団に与えられた、振る舞い方に関する一連の指示に過ぎないのだ。
「それらの行為は、その限られた集団の中では、行われてはならなかった。しかし、それ以外の人々に対しては、ヤハウェ自身によって絶滅と窃盗が命じられたのである。」
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『神聖なる』屠殺とフェイクニュース:
実在しない出エジプト記の紅海 -2 へ続く
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