子どもの質問に四苦八苦

幼稚園の子どもがいる。
子どもは時に僕に気づきをくれる。
思いもよらぬ質問があるのだ。
うちの子どもは数字が好きなので、百とか千とかいう。
挙句千万億とかない単位を言ったりするので、「そんな単位はない。」と説明したりした。

そうすると
「じゃあ、もっと上の単位を教えて。」

なんだと!?

一応知っていたし、無量大数までは説明をした。
しかも漢字がわからないので、「ひらがなとカタカナで書いて。」と言われてそうした。めちゃくちゃ大変だった。

僕が知らないだけかと思って調べたら華厳宗にはもっと大きい単位があることが判明する。

不可説不可説転

ちなみに無量大数は10の68乗ぐらいの数なのだが、
不可説不可説転は10の37澗乗だ。

今度は澗がピントこない人もいるだろう。
澗というのは10の36乗だ。

0が途方もない数あることはわかっていただけると思う。

なるべく子どもの質問には全力で答えを出すようにしているのだが、
ある日子どもがとんでもない質問をしてきた。

「生きるって何?」

これは哲学的なものか科学的なものかどう捉えるのかはいささか悩んだが、
科学的に捉えることにした。

確かに生きるということを自分の中で
明確に定義づけたことはなかったように思う。

子どもは続ける
「動いてると生きてるよね?車は動いているけど生きてないよね?」

確かに。考えるとかも考えたがAIがある今、機械も自立して考えている。
ロボットがいる以上、機械も動く。

心臓が、脳が、とも思ったが、単細胞生物もいる。
さてどうしたものか。

さて、どうしたものか。色々調べた結果、養老孟司さんの定義を採用した。
この3つが生きる定義だという。

・外界と膜で仕切られている。
・代謝(物質やエネルギーの流れ)を行う。
・自分の複製を作れる。

だそうだ。
なるべく平易な言葉を選んだが子どもには難しく「まぁ、ふーん。」ぐらいだったが、自分的には納得がいった。

そんなこんなで子どもと本気で向き合うと自分を賢くしてくれるという話でした。

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