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社会の寛容と礼儀

寛容を求める社会

スープストックという会社が離乳食を提供すると表明して、議論を呼んでいる。
もともと若者世代を狙った飲食店であったが、時代の変化や当初狙っていた層が子育てする年齢になったのだろう。お店として離乳食を出すという判断をしたのだ。

これに対して、
「離乳食も出るんだし、行きたい。」という子育て世代の人と、
「静かに一人で食事をしたい。」という独身世代とがぶつかっているのだ。
元々このお店が狙っていたのは独身世代だったとは思うのだが、
みなさんはどう思っただろうか?

やはり子育て世代に寛容であるべきだと思うだろうか?

それ自体は間違いではないと僕は思う。
しかし、だからといって独身世代のひとを蔑ろにしたり、排除するのは違うと思うのだ。
最近僕は子育てについての記事を書くことが多い。
だが、若い頃は「子供嫌い」を明言しているほどの人間だった。
今でこそ子供も可愛いなと思うようになった。
それでも可愛い子供もいるし、可愛くない子供もいるというスタンスだ。

なぜかというと子供は僕にトラブルを持ってくることが多かったからだ。
例えばこんなことがあった。電車で騒いでいる子供たちがいたのだ。
子供たちで騒いでいるのだが、保護者は保護者同士で雑談をしていたのだ。
僕自身騒がしい子供だったし、いくら学生自分の僕でも子供が騒ぐのはわかっている。
ただ、注意しない親に腹が立つのだ。
そして、親を睨みつけていたら、一人の親が怒りに塗れた僕を見て慌てて子供を回収する。そして、子供に言うのだ。

「そんなに騒いだら、あそこの怖いお兄ちゃんに怒られるよ!」

そして僕は思う。
「あぁ!オレがキレる前にお前が注意しろや!」と。

このように子供が直接ということは少ないのだが、子供に付随して腹立たしいことは度々起きていた。だから僕は子供嫌いを明言していたのだ。
子供を自分に近づけさせないために。

みなさんは子供が騒いでいるのを見て、『子供は元気が一番だ。』とか『子供はみんなそんなもんだよね。』と思うのだろうか。
僕の記事を読んでくれる読者は本当にいいひとばかりなので、もしかしたらそうかもしれない。しかし、著者本人は違うのだ。

自分の子供が産まれて、子育てを始めて初めて子育てのしんどさ、難しさを知ったのだ。だから思う。そのしんどさを他の人に理解を求めるのはエゴではないか?と。

寛容のための礼儀

若かりし僕でも親がやるだけやってそれでもうるさかったら仕方ないと思う。
子供はうるさいんもんなんだから周りはそれを寛容して当たり前は違うと思うのだ。
理想論になるのだが、
子供が騒いでいるとする。
親はなんとか宥めようとする。
しかし、泣き止まないとか騒がしいことがある。
親は周りに「すみません。」と言いながら、なんとかしようとする。
これに対して、周りが「子供はそういうもんだよね。仕方ないよね。」これならわかるのだ。

子供が騒いでいる。
親は「子供なんやから騒いで当たり前やろ!」という態度で、
スマホをいじって子供を見ていない。
これに対して、周りに寛容を求めるのはエゴが過ぎないか?と思うのだ。

子供の年齢によるかもしれない。
それでもなお思うのだ。
親はやるだけやって、周りに謝罪の意思を示すべきだと。
それが礼儀というものではないだろうか。

周りにただただ寛容を求めるのではなく、寛容してもらえるだけの礼儀を示す。これはこれで社会を生きていく上で大事なことではないかと僕は思うのだ。

多様性を受け入れろというエゴ

多様性を受け入れるべきだという昨今の流れが僕はあまり好きではない。
それは多様性を受け入れろと言っている側が押し付けてきているような印象を受けるからだ。多様性を受け入れろという価値観ならば多様性を受け入れないという価値観のひとも受け入れなければならないと僕は思うのだが、実際は多様性を受け入れろというひとは多様性を受け入れないひとを排除し、むしろ攻撃する傾向にあるように思うからだ。

今回は離乳食から子育て世代と独身世代の話をしたが、他にも似た話でこんなことがあった。

朝の満員電車にベビーカーで入ることの是非だ。

これについても他の荷物や子供の関係でベビーカーが必要だったとする。
この人が朝の時間に電車に乗らないといけないわけだからそれなりに事情があるのだろう。このひとを満員電車の他の客は寛容すべきだろうか?

例えば、この親が「すみません。迷惑なのは重々承知なのですが、事情がありまして、申し訳ないです。」というスタンスなのと、
「仕方ないやろ。ベビーカー使わなやってられへんねん。社会が寛容して当たり前やろ!」というスタンスのひとがいたとして、あなたはどちらを寛容できるだろうか?

もしかしたら両方寛容できる、両方寛容できないというひともあるだろう。
しかし、申し訳ないというスタンスの方が寛容しやすくないか?

僕はこれが子育て世代側の礼儀だと思うのだ。
基本的に独身世代は若者であると仮定されるとして、その方が年長者が若者に対して配慮している形になると思うのだ。
それをまだ子育てを知らない若者に年長者側の子育て世代側がが配慮を求めるのはどうだろうか?

自分が受け入れられるためには相手を受け入れ、そして礼儀正しく謙虚に振る舞うことが大事なのではないだろうか。
それをせずに相手にだけ寛容を求めたり、受け入れるように強要するのは何かナンセンスなように僕は思うのだが、現代社会で受けれいられない人物は自分のような人間なのかもしれないとも思う。

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