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人の器

人というのは一人では生きていけないものですが、時にはその人の大きさと言いますか、懐の深さと言いますか。

そんなことを感じることがあります。

昔から、

「弱い犬ほどよく吠える」

なんて言う諺がありますが、

 自分が不利な立場になると、ひたすらマウントを取りたがるというか、声だかに叫ぶ人がいたりします。

結局そうした人というのは、自信が無いのでしょうね。

 私が郵政局に勤務していた頃、32歳の頃だったでしょうか。

そろそろ次席(郵政局における初めての役職)が見えてきた頃に、リーダーシップと言うことを考えたことがありました。

リーダーシップ論などが書かれた本を読んだわけではなく、陸海軍人の伝記であったり、「失敗の本質」 日本軍の組織論的研究 という本を買って読んでいました。

 リーダーシップ論を単純にそうしたノウハウ本で吸収するのではなく、そうした本質を探ると言うことからでした。

何故そうしたか、

それは表面的なものを知るのでは意味がないと言うことです。

 自分自身が確固たる信念を得るためには、より深いところ、もしくは、より遠いところから感じる信号をキャッチして置く必要があろうと思ったわけです。

要はエッセンスの抽出とでも言うのでしょうか、普遍的な部分を探す、そんなことを無意識のうちに行っていました。

まぁ、それが俯瞰して考える習慣につながり、更には、誰に対しても穏やかに接するという懐の深さに繋がっていったと思っています。

まぁ、時にはそれ故に浮世離れしていると思われそうなこともありますが。苦笑

 昔は、人の噂であるとか、自身の評判などが気になって仕方が無かったものですが。

最近では、○○君が君のことを馬鹿にしていたとか、わざわざ注進されても、別に気にすることもなく。

「言わせておけば良いじゃないですか」

で終わってしまいます。

 実際に、腹も立たないんです。

それが、別に自分にとって何らかの影響を及ぼすのか、・・・否、そんなことに一喜一憂している暇があれば、もっと自分を磨く、本質を探ることを考えれば良かろう・・・そんな風に思ってしまうわけです。

 まとまりがなくなってしまって申し訳ないのですが、時々そうした俗世間的なところで、吠える人たちを見ると、人生無駄使いだなぁと思ってしまうわけです。
まぁ、あくまでも個人的な思いなんですけどね。

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