僕がほとんどの老人を老害と思う理由

武術研究家のモノノフです✊

僕はほとんどの老人を老害だと考えている。
その理由を書いてみたいと思う。

最初に誤解しないで欲しいのは、全ての老人ではないということだ。
特に武道の世界には達人と言われるひとがいる。往々にして老人だ。
ほとんどの老人を老害と思っている僕ですら、尊敬を隠しえない。

そもそも老人を人生経験が多いというだけで、
尊敬に値するのか?という疑問が僕にはある。

老人を敬うのは昔の儒教の教えに由来していると考えるが、昔は情報が生きて体験した分しか手に入れることがほとんどできなかったので、長老は知識があり、見聞があり、尊敬されるというのはわからなくはない。

しかし、ネット環境が世界中に張り巡らされ、情報収集しているひとが情報や知識を得ることができるようになった近代では、

おばあちゃんの知恵袋よりYahoo!知恵袋💰

なのだ。

日々研鑽を積んでおられて、技を磨いたり、知識を得ていたりするなら年長者の方が原則偉いというのはわからなくはない。
むしろ、僕は研鑽を続けているひとを尊敬する。

しかし、そんな老人がどれほどいるだろうか?
しかも偉いのはその特定の分野にだけなのだ。

もっと言うと、日々の研鑽を積むとかしていなくてもいい。
自分はそういうことをしていないのだから、偉くないと自覚するだけでもいい。

少なくとも偉そうにする老人は存在しないはずなのだ。
例えば、
「最近の若いもんは...」とか
「年長者を敬え!」
とかいう発言は存在しえないのだ。

この手の発言をする老人は基本的に自覚が足りない。
つまり、尊敬に値しないと僕は思う。
若者が不遜なのはわかるが、
老人が不遜なのは頭が悪いだけではないかと思うのです。

もっと言うと若者もひとを見ているので、
尊敬に値するひとなら敬意を示しますし、
敬意を示さないのは本人の自由で周りが
「敬意を示せ!」と言うものでもないように思うのです。

小学生、大きくても中学生以下であれば、
日本語的な言葉遣いを学ぶという意味で、
「敬語を使いなさい。」ぐらいはあるかな...
親や、教育現場であれば。

公共の場で子供が騒いでいたら行為を注意することはあると思う。
しかし、自分に敬意を示せとは思わない。

もし、その後子供が反省した様子がなくても行為が止めばそれでいいし、
それでも暴れまわっている子供がいるなら悪いのは親なのだ。

中学生高校生なら育ちが悪いのかなとか
親が残念なのかなと思うだけで、
実害はない。
移動する場所があるならこっちが移動すればいい。

実害がない限り態度の悪い若者がいたとしても、
イライラする理由がないのだ。

僕は武術研究をする上で『己以外皆師』と思うように心がけている。

それは老人でも子供でもだ。
嫌なひとはいるが、そのひとでもこの部分だけはいいとか、
いいところを見つけるようにしている。

そういった目で見た時に老人より子供の方が感心することが多いのだ。

そして、たまたまなのか僕がそう思っているだけなのかはわからないが、
僕が偉いと思うひとほど、偉そうぶらないし、
遥か年下の僕に敬意を示してくれたりするのだ。

もうこれは人間力で僕の敵うレベルではない。

僕の方から明らかに僕より賢いと思うのに、
すごく謙虚に僕から話を聞こうとしてくるのだ。

そういうひとは僕だけにではない。
みんなにそういう態度をとっている。
当然圧倒的に情報を持っているし、
勉強も研鑽しているのでめちゃくちゃ賢いのだ。

この場合、年長者であると、確実に僕より長い時間そういうことを行なっているので、僕の立場からすると尊敬せざるおえない。

自分もそうなりたいと心がけているし、自分より年少のものであっても、
残念だなと思う老人であっても謙虚な姿勢は崩さないようにしてはいる。

しかし、今はできても10年後もできているのかとか、
自分が老人になった時にどうなんだというのはわかるはずもないのだ。

自分は老害と言われるような老人になりたくないと思っているが、
本当にそうなるかどうかは周りが決めることなのだ。
そして、

老害になりたいと思ってなった老人は存在しない

のだ。みんな知らず知らずのうちに老害になっているということを理解しないといけないだろう。

モノノフ


追記

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