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幸せな人生とは?

僕は仕事命の人間だ。基本的に仕事ばかりしている。家族の時間はなんとか作っているが、その中でもわがままを言って武道の研究に勤しんだり、体験会みたいなものに参加したりしている。

最近子どもに言われたことがある。
「パパはどうして仕事ばかりしているの?僕ともっと遊ぼうよ。」
「〇〇がご飯食べたりここで住んだりするのにお金が必要でそれを稼ぐためにパパは働いているんだよ。」
「じゃあ、パパがもっといっぱいお金稼げるようになったらいいじゃん。そしたらお仕事の休みも増えるじゃん!」
なかなかぐうの音も出ない意見を言ってくれる。
「パパはお金を稼ぐのが下手だからね。いっぱい時間を働くしかないんだよ。〇〇はお金をいっぱい稼げるようになるといいね。」
などと言っていた。

正直僕はお金を稼ぐのは苦手だ。お金のことは好きだし、散々苦労しているので、お金を軽視するつもりはない。僕はお金のことが好きなのだが、お金は僕のことが嫌いなようだ。

お金があったらもう少し家族に時間を取れるだろう。好きな本を読めたりとか、昔は好きだったゲームなんかもできるかもしれない。遊んで暮らせるようなお金があっても仕事はやめないだろう。僕はそれぐらい仕事が好きだ。

そう思うと、僕はお金があっても仕事をするだろうし、今も通勤の間に本を読んでいる。医院に木刀とか模造刀を置いて空き時間に振っている。つまり僕はお金を持ったところでやること自体は変わらないのだ。せいぜい仕事を減らして家族との時間を増やすぐらいのものなのだ。

あれ?すでにかなり幸せではないか?
仕事が医療なので辛いことはもちろんある。心無い言葉をかけられることもあるし、こちらが誠意を持って対応しても悪意を持った受け取り方をする人もいる。それでも自己肯定感の低い僕としてはそもそもがひとのためである医療というものが僕の心の支えになっている。それをしている時はいいひとで入れる気がするのだ。僕はひとのためにする医療を自分のためにしている。だから、基本的に助けてやっているとか思ったことがない。精神的に救われているのは僕の方だからだ。
ただ、悪く言われることもないと思っている。患者さんも良くなって良かったね。僕もひとのためになれて良かったですという状況だ。「お前が救われているんだから、金はいらねぇな」と言われたら「いります」というし、「お金を払わないなら医院に来るな」とも思う。

まぁ少し話が逸れたが、僕はもっとお金を稼げたらなぁと思うこともあるし、家族との時間をとったほうがいいのかなぁと思うこともあるが、多少のバランスの違いはあれ、したいことは今、できているのだ。つまり、僕はきっと幸せなのだと思う。

僕が何を言いたいかというと、お金をいっぱい稼ぐことが幸せではないということだ。僕はあんまりブランドもののバックとか高い腕時計とか高級な車とかに興味がないというのもあるが、皆さんも冷静に考えてほしい。自分がお金を持った時にしたいことを。物欲は正直意味がない。よほど欲しいもの一つに絞って欲しいなら買ったらいいかもしれない。しかし、新作がとか言って買い続けないといけないような物欲は満たされることがないし、手に入れたら意味がなくなる。また次が欲しくなるだけなのだ。
それはそれとして、お金があったらやり尽くすであろうことをやり尽くした時に、あなたは何がしたいか。生活が完全に担保されている時に何がしたいかというのを考えて欲しい。
その時に「家族と時間を過ごしたい」とか、「美味しいものを食べたい」とか「自分の軌跡を残したい」とかその時にしたいことを考えるのだ。たとえば「家族と過ごしたい」という夢があるときに、あなたがもし結婚していたら、家にいる時間はもうそれは夢のような幸せな時間でなければならない。「自分の軌跡を残したい」ならもしかしたら文章に書くことかもしれない。それなら今日、今からnoteを書き出せばいいのだ。
旅行に行きたいけど、お金がないなら目的なく散歩をすればいい。季節的に水分補給や時間帯は考えて欲しいが、現状でできることなどいくらでもある。幸せに迎えることはいくらでもあるのだ。

大事なのは理想の幸せになることではなく、幸せに向かっているという実感を持つことや、今自分が幸せなのだと自覚することが大事なのだ。

たとえば自由を求めているとする。皆さんは自由だろうか?

自由をしたいことができる世の中と思っているひとが多い。そんなことは存在しない。なぜならしたいことができるということは周りのひともしたいことができる。つまり、周りのひとのしたいことが自分に害のある行為ならそれは急に不便を押し付けられることになるからだ。自分だけがしたいことをできる世の中など存在しないのだ。本当にしたいことをしていい世の中は北斗の拳の世紀末の世界線だ。無法地帯となる。

ただ、自由を求めて戦っているひとは充実していると思わないか?
それは理想に向かっているからだ。
そこには自分の中の正義ができ、それは非常に危険でもあるが、快楽でもあるのだ。自分の正義を執行するというのは甘美な行為なのだ。きっと幸せを感じるだろう。

僕が言いたいのはお金があるだけではいくらあっても幸せにならないということだ。お金がなくても幸せにはなれるし、余裕がなくて見えていないだけということだ。
ただ、お金がなくてもいいと言っているわけではない。お金はあった方がいいが、お金がなくても見えるものが見えていたら十分幸せになるということだ。

あなたの幸せはどこにあるだろうか?


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