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姿勢がわかって合気道の認識が変わった

姿勢の答えが出たという内容を前回投稿した。
崩し系の技も全てのクオリィティがめちゃくちゃ上がった。
ここで大事なのは崩しの技術を鍛えたわけではなく、
打撃の攻撃力を上げる努力をしていたという点だ。

合気道の技も相手に返るようになったし、
相手を掴んだ状態で自分の姿勢を整えると相手が崩れるようになった。

僕が思うにこれは合気ではなく、
身体の機能だ。

合気はもっと高尚なものなのだ!

合気道の技としては、
こういった身体の機能や、
姿勢を整えることによる圧倒的出力のパワーによって、
かけられるものがあると思う。
それはそれでいい。
しかし、どの機能を使って技としているかは分類した方がいい。
おおよそ古典物理と、生理学、解剖学などで説明はつく。
これらだけでは全ての合気道の技は説明できない。
脳波や意思の影響を受ける。
これらは近代物理で説明できるのだが、
素領域の話に関わるような技が『合気』なのではないだろうか。
ちなみに素領域とは素粒子と素粒子の隙間にあるとされる領域だ。

かつて植芝翁は銃弾をかわしたという逸話がある。
金色の道が見えたというやつだ。
僕はこれにもある仮説を立てている。

共感覚だ

天才が稀に持っているようなものだ。
どんな大きい数字の計算でもできる人がいる。
それは数字が色で見えるというものだ。
数字という無機質なものに色や温度といった別の感覚を感じる。
このような感覚を共感覚と言います。

当然凡人の僕は持ち合わせていない。

意思や脳波は素領域の中を動くわけだが、
それが金色で見えていたのではないか、と考えている。

銃弾をかわしたという逸話には続きがある。
その逸話を聞いた塩田剛三が鳥撃ちの名手を呼んで来て、
「先生(植芝翁)、この人の弾をかわせますか?」
と、聞いたら植芝翁は
「この人の弾はかわせない。」といったという話があります。

鳥撃ちの名手や優秀なマタギには『木化け』という言葉がある。
自分の意思を感じさせないように木に化けるのだ。
「この人の」というワードが大事で、
おそらく優秀なマタギで意思を感じられなかったのではないか?
と僕は考えている。

植芝翁もなんでもかんでもできたわけではなく、
おそらく素領域における共感覚の持ち主だったのではないか?
と僕は考えている。

塩田剛三先生も
「合気道で一番強い技は自分を殺しにきた相手と友達になることだ。」
と言っている。
これも素領域の話だと僕は考えている。

おそらく最終的にはこの『素領域のコントロール』が『合気』に
なるのではないだろうか?

凡人の僕が辿り着ける可能性は恐ろしく低いように思うが、
目指していきたいと思っている。


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