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「話す」と書いて「頼る」「甘える」と読む

「短所は、人を頼るのが苦手なことです」

転職活動準備中、想定質問への答えとして用意していたこの一文から始まる文章。実際、前職で体調を崩した理由の一部としては、なかなか自分が困っていることを伝えられずにいたことが影響していると思う。

それでも、適応障害の診断を受けながらもスムーズに回復してこられたのは、ひとえに病院の先生やカウンセラーさん、家族や友人が励まして見守ってくれたから。その経過を振り返りながら、わたしはよく「たまたまた」とか「ちょうどこのときに」と、偶然友人たちと連絡をとる機会があった、と話をしていたら、カウンセラーさんから、「それは『たまたま』じゃなくて、あなたがきちんと周りの人と関係を作ってきたからだよ」と指摘された。

通い始めたころには、「もう少し甘えたり、頼ったりしていいんだよ」といったことも指摘されていたとは思う。ただ、わたしにとって「甘える」や「頼る」は、あまりにも曖昧で、どうすれば「甘える」ことになるのか、何が「頼る」ことなのかが少しわからない感じもあった。

ネットで検索をしても、ヒットしやすいのは恋愛ものばかりだし笑、なんだか生きる上での「甘える」や「頼る」は長子ということもあって余計に得体の知れないものに思えていた。

それが、周囲との関係で指摘されたときにようやく、誰かと話をすることは、「甘える」ことや「頼る」ことの言い換えといってみてもいいのかもしれないと思った。

わたしはいわゆるLINEのコミュニケーションがいきなり身近になった学年ではない。大学時代はまだまだガラケー勢もたくさんいたし、グループLINEを連絡網的に使い始めたのもかなり後になってから。
なんなら、メールアドレスは知っているけどLINEを交換するタイミングがなかったがために連絡が取れなくなったような同級生もたくさんいると思う。

その名残でもあるのか、わたしはLINEでも連絡を頻繁に取り続けるタイプではない。相手によっては1年に2回、お互いの誕生日に連絡するだけだったり、SNSでたまにコメントを送り合っているくらいの付き合い方のほうが多かったりもする。
それでも、会う約束ができたら会って、近況報告をすることもあれば、全然違う直近見た映画やドラマの話題で盛り上がることもあったし、話題には仕事にかかわるものが出てきていても、テンションとしては昨日もお互い学校にいたよね、くらいことが多い。

近すぎず、遠すぎない。
でもだからこそ、本当はいきなり重たい話題を出せるような数は限られていたはずだった。

でもあるとき、作ったご飯なんかの写真をSNSにあげ、それきっかけで友達とコミュニケーションをとることが多い、ということを家族に話をしたらめちゃくちゃシンプルに指摘されたことがある。

「え、それ普通にLINEすればよくない???」

そうか。それもありなのか。というかSNSやってない側からすればそれが普通か・・・!!!目から鱗です。
いや、わたしが発信源になっていないだけで、ちょっとした動画や写真を個人宛で共有してくる友だちもいたし、突然電話をかけてくる友だちもいた。それを迷惑だと思ったこともないのに、なぜか自分からそれを誰かにすることはなかったことに改めて気がついた。

それ以来、ちょっとだけ友だちに連絡するトピックが変わってきていたように思う。それが、適応障害になる前の年明けのこと。

ほんの少し、連絡の取り方が変わっただけ。だけど、そのおかげで「転職を考えているから、転職サイトどこ使ったか聞きたい」とか、全然違うトピックで「この動画がおもしろんだけど」と連絡することもあったし、「誰々にあったから連絡してみた」というパターンもでてきていた。

それが、適応障害の診断を受けた後もうまく続いていた。自分から連絡をしていることもあれば、相手からランダムなトピックで連絡が来ることもあった。そのタイミングで、何かしら「話す」ことが繰り返しできるようになっていたことが、弱音を吐いたり、気晴らしに出かけたり、頭の中を整理することにつながっていた。

だから、きっかけが何かへの反応だったとしても、わたしにとって「話す」ことが結果として「甘える」や「頼る」につながっていたような気がする。

環境が職場だったり、実際に何かお願いをするような「頼る」はまだもう少し練習が必要だろうなと思うし、恋愛コラムによくあるような「甘える」がわたしにできるようになるのかはわからないけれど、自分のことを何かの拍子に「話す」ことで、ちょっとずつ周りに甘えて、頼って進んでいけるような自分には成長しているのかもしれないな、なんて思います。

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