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ショートショート『 My Life』



商店街にある小さな靴屋。
そこが僕の仕事場だ。

あの出会いは、
僕の人生に彩りを与えてくれた。

あれから10年。
時が経つのは本当にあっという間だ。

大学卒業後、大手銀行に勤めていた僕は
忙しい日々を送っていた。

僕の仕事は、融資先の相談役で
経営状態があまり良くない取引先を
担当することが多かった。

「橋本君。このお客様なんだけど、最近になって
 返済が遅れ始めてるのよ。ちょっと様子を見に
 行ってくれない?」

渡された資料に目を通すと、そこは
商店街にある小さな靴屋さんだった。
いつも訪問している取引先の近くで、
僕は、このお店の前を何度も通ったことがある。

「分かりました。アポ取って行ってみます」

早速、その靴屋さんに電話をかけてみた。

「いつもお世話になっております。あおば銀行棚
 町支店の橋本と申します。ご挨拶をかねてお伺
 い出来ればと思い、お電話させて頂きました」

「こちらこそ、お世話様です。いつでもどうぞ」

店主の話し方は、とても穏やかだった。
それから僕は、靴屋へと向かった。

商店街の入り口辺りに着いた頃、ちょうどお店の中へ、年配の男性客が入って行くのが見えた。

お客さんがいては話が出来ないな。そう思いながらも、お店の前まで行ってみることにした。

「靴のオーダーメイド…」

お店の看板にそう書かれていた。いつもこの道を通っていたはずなのに、全然気がつかなかった。

中を覗くと、先ほどのお客さんが、ちょうど出来上がった靴を試し履きしているところだった。

「いやーぴったりだ。履き心地も最高だよ! 
 やっぱり嶋さんにお願いして良かった」

「安田さん、いつもありがとうございます。そう
 言ってもらえると、私もやり甲斐があります」

「これからも頼んだよ」

「それが…」

急に、店主の顔色が変わった。

「なに、嶋さんどうしたの?」

「実は、このところ経営が厳しくて…
 この店もいつまで続けられるか分かりません。
 オーダーメイドはどうしても値が張りますし」

「確かに、最近は安く靴を買えるからな。だけ
 ど、安い分履き潰すのも早い。また買い替えれ
 ばいいという人には良いのだろうけど、私は高
 くても気に入った物を長く使いたい。壊れて
 も、ここに持ってくれば修理もしてくれるし。
 私にとっては、嶋さんの靴が一番だよ」

「安田さん…本当にありがとうございます」

店主とお客さんのやり取りに、
僕は何だか、複雑な気持ちになった。

「こんにちは、あおば銀行の橋本です」

「ああ、今朝電話をくれた」

「はい、そうです。お仕事中にすみません」

「大丈夫ですよ、店主の嶋田です。そうだ、
 良ければ少し中を覗いて行きませんか?」

店主の名前は嶋田さんなのか。嶋さんというのは愛称だった。それだけお客さんから愛されているってことだろう。

嶋田さんに案内され、店の奥にある作業場に入ると、その光景に衝撃を受けた。

商品が並んだ店先とは打って変わって、そこはまるで別世界だった。子供の頃に憧れた秘密基地がそこにはあった。

「素敵な作業場ですね」

僕は、そこにある物ひとつひとつに目を輝かた。

「そうかい?気になるようだから、 
 ゆっくり見学していくといいよ」

嶋田さんは、仕事も忘れ興味深々の僕にそう言ってくれた。

薄暗い部屋に広がる、オレンジ色の優しい灯り。棚には、いろんな色や形をした革と糸がぎっしりと並べられている。

嶋田さんは、部屋の真ん中あたりに糸を張り、何かを塗りながら力強く、その糸をこすり始めた。

「こうするとね、糸の強度が上がるんだよ」

糸をこする音が、部屋中に響き渡った。
ずっと聞いていられる。何だか心地のいい音だ。

僕は、この空間にいられることが何より幸せに感じられた。同時に、嶋田さんとお客さんのやり取りを思い出していた。そして、

「嶋田さん、僕を弟子にしてください!」

とっさに出てきた言葉だった。僕も驚いた。

「何を冗談言っているんだい?
 君は銀行マンだろう?」

「この素敵な空間で働きたいんです!そして、僕
 も嶋田さんみたいに、お客さんに喜んでもらえ
 る靴屋になりたいんです!」

「気持ちはありがたいけど…知っての通りこの店
 は、経営状態も良くないし、お給料だってまと
 もに払えないよ」

「大丈夫です!今の仕事を続けることは難しいで
 すが、仕事を掛け持ちして頑張るので、ここで
 靴の勉強をさせてください。お願いします!」

僕は、これ以上無理だというくらい頭を下げて、嶋田さんにお願いした。

「うーん、そこまで言ってくれるなら…だけど
 本当にいいのかい?今のような安定した収入は
 得られないと思うよ」

「生きていくためにはお金を稼ぐことも大事で
 す。だけど今日、僕は出会ってしまったんで
 す。嶋田さんと、このお店に」

そしてその日、会社に戻った僕は何のためらいもなく、辞表を提出した。

僕は本当に嶋田さんのもとで、靴屋としての修行を始めることになったのだ。

だけど、
それから一年が経った頃…
嶋田さんが他界した。

本当に突然の出来事だった。

僕は師匠を失い、靴屋は主人を失った。

「橋本君、今までありがとう。跡継ぎがいないこ
 の店に希望をくれて。だけど、主人が亡くなっ
 た今、これ以上この店を続けていくことは無
 理でしょう。あなたに負担をかける訳にもいか
 ないわ」

嶋田さんの奥さん恵美子さんが、呆然と佇む僕に声をかけた。

その時、僕は思った。あのとき感じたものは本物だ。自分の気持ちに間違いはない。だから、このまま終わらせたくなかった。終わらせるわけにはいかない、そう強く思った。

「恵美子さんお願いです。
 僕に、この店を継がせてください!」

「この一年で、あなたの技術は素晴らしく成長し
 たわ。あの人も驚いてた。それに、あなたの真
 剣な気持ちはよーく伝わって来た。だけどね、
 今の時代オーダーメイドの靴屋ではやって行け
 ないでしょう」

恵美子さんは、心配そうに僕の顔を見た。

「僕は、こういう時代だからこそだと思っていま
 す。生前、嶋田さんはお客さんとのコミュニケ
 ーションを大事にしていました。売って終わり
 じゃない。壊れたら修理をして、また長く履く
 ことができる。そうやって嶋田さんは、お客さ
 んと信頼関係を気づいていました。それに、靴
 屋は職人です。良い靴が提供出来れば、必ずお
 客さんは来てくれます」

「そこまで言うのなら…あなたの気が済むまでやっ
 てみなさい。私も今まで通り、事務的なサポー
 トはさせてもらうわね」

「ありがとうございます!」

「あの人の言った通りだわ。
 あなたの熱意には誰も敵わないって」

「何か、すみません…」

「褒め言葉よ。あなたがこの店を継いでくれるな
 んて、あの人きっと喜んでるわよ。困ったこと
 があったら何でも言ってちょうだいね」

「本当に、ありがとうございます!
 しっかり頑張ります!」

おもむろに天を見上げた恵美子さんの表情は、
何だかとても、清々しく見えた。

しかし、お店を任せてもらったものの、相変わらずお客さんはなかなか来てくれなかった。オーダーメイドは敷居が高い。そんな声も聞かれた。

恵美子さんの言う通り、今の時代に合っていないのか…僕はふと、嶋田さんが、靴の修理を受けたときに話してくれたことを思い出した。

「靴屋はな、靴と向き合うだけじゃダメなんだ。
 靴には、持ち主さんのいろんな想いがつまって
 いる。だから、その想いを感じながら靴と向き
 合わなきゃダメだ」

そんなことを言っていた。嶋田さんらしいな、と僕は思った。それから、靴の修理も積極的に受けることにした。

やがて、オーダーメイドの注文よりも、修理依頼の方が多くなって来た。他の店で修理不能と言われた靴の依頼も多くなった。

物理的に出来ないものは出来ないとお伝えしたうえで、それでも可能な限り直してほしいと言われれば、断ることはなかった。

そして、有り難いことに、口コミで評判が広まりオーダーメイドの注文も増えて、お店は大盛況となった。

僕はこれからも、師匠の想いを受け継ぎ
靴職人として生きていこう。

そう心に決めたのだった。



おしまい𓍯


最後まで読んで頂き
ありがとうございますᵕᴥᵕ

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