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【短編小説】Mrs(ミセス)

#フィクションストーリー

香り

中央交差点で信号待ちをしていた。
日曜の繁華街はそれなりに人で混雑していた。
歩行者信号が青になった。
僕はスクランブル交差点を斜めにわたり、駅のほうへ行こうとしていた。

懐かしい香り・・
昔彼女が付けていた香水の香りと一緒だった。
人ごみの中を振り返る。

<なに動揺してんだ>
僕は心の中でつぶやいた。
そう思い直し、そのまま駅のほうへ歩いていった。

着信

スマホが静かに揺れている。着信があるようだ。
僕はスマホ画面を見た。
<星場久美子>彼女の名前が出ていた。

3秒迷って、スマホをスワイプした。
「わたし・・わかる?」
「ああぁ・・」

クミコは相変わらず明るい声で話しかけてきた。
最近夫婦仲がうまくいっていないと、友達どうしの噂では聞いていた。
クミコは一年前まで、僕の彼女だった。

ほんとうなら僕が結婚するはずの相手と言っていい中だった。
けれど、結婚という形に疑問を持っていた僕は
クミコを5年待たせてしまった。

一年前クミコは黙って部屋を出ていった。
半年前、クミコが結婚して、ドイツに行った。
ドイツの結婚式には、友人のケイコも参列した。
石造りの教会の結婚式の写真を
ケイコがスマホに送ってきたのを昨日の事にように覚えている。

僕は二人で暮らしていた部屋で一人ケイコからのメールを読んでいた。
「久美子ってすっごく、し・あ・わ・せ・って感じだった」
そんなメールと写真を見ながら、僕はその日一睡もできずに朝を迎えたのを
昨日の事によう覚えていた。

しかし、最近になって、
結婚生活がうまく行っていないという話も聞いていた。
クミコがこの街に戻ってきているという噂も流れていた。

再会

そんなクミコから着信・・・かなり動揺していた。
「電話番号変えてないんだ、ほんとはちょっとドキドキしながら、
 かけているんだ」
「旦那は???」
「・・・・元気よ・・・・今はドイツだけど」
「ねぇ・・ちょっと会えない、会いたいな・・わたし」
「いつ日本に帰ってきたんだ?」
「うーん会ってから話すね・・・」
会話のイニシアチブは彼女が握っていた。一方的に彼女は話し続けた。
結局彼女の押しに負けて、会うことになった。

「懐かしいね・・・」
嬉しそうに彼女が笑った。
「おまえ・・・うまくいってないって噂だぞ」
「・・・・・・」
「人間って変わるよね、あなたは、子供のままだけど」
「あの人は、結婚したら変わったわ」
そう言って言葉を潤ませた。

僕と彼女は、二人でよく言ったファミレスで会うことになった。
僕は彼女と別れた後は、このファミレスには入っていない。
僕が行くと彼女はいつも僕らが座っていた窓際の席に座っていた。
長い黒髪をポニーテールにした精悍な顔立ちの彼女が
1年前と変わらない姿でそこに座っていた。

「人間なんてすぐに変わっちまう、そんなもんじゃないのかな」
彼女の問いかけに僕は答えた。
「たぶん変わる部分と、変わらない部分を持っているんだと思う」
そう言ってクミコは僕の顔をじっと見つめた。
彼女はさらに何か言おうとしながら言葉にならず、涙だけが流れ出ていた。

僕は彼女が落ち着くまで待った。
彼女はひとしきり泣くと、話始めた。
ドイツでの生活の事、旦那との関係、気持ちのすれ違い等
クミコは堰を切ったように話した。

そして・・
一年前僕の前から居なくなった事を後悔しているようだった。
僕はこのまま彼女と一緒に居たら、どうにかなってしまうと思い
彼女を実家まで送っていった。

欲情

一週間後、クミコから着信があった。
「会いたいな・・・」
「・・・・・」
「もう会いたくない?」
僕は正直迷っていた。
会ってはいけないようにも思えた。
このまま会ったら自分を押さえられないように思ったからだ。
けれど僕はそんな自分との葛藤に負けてクミコと会ってしまった。
「ねーゲーセンしない、いつものやつしようよ」
まるで恋人どうしの時みたいに彼女は、はしゃいだ。
それが僕の思考を狂わせた。

2時間後・・・・
僕と彼女は、ベッドの中に居た。
それはまるで、6年前に初めて出会い、
初めて彼女と体を交わした時のように、
一瞬でタイムスリップしたかのような気持ちに襲われていた。
けれど、一つだけ違うのは、
彼女がミスではなく、ミセスであるという事だ。

僕らは再び動き出してしまった時間を、
時をかき集めるように、激しく抱き合った。
過去も未来も関係なく、この瞬間彼女だけを愛していると実感
していた。

秘密のデート

僕らの秘密のデートは始まった。
悪いことをしている。
そう思っても、体が彼女を求めていた。
「わたし、あなたと別れられない」
クミコはそう言って何度も泣いた。
彼女を責められる立場でないことは、わかっていた。
僕はただ彼女を抱き寄せることしかできなかった。
ベッドサイドのオーディオから僕らの罪を戒めるように、
静かなバラードが流れていた。

これから、泥沼の中に足が埋もれて行く予感がしていた。
元々僕が決断できなかった結果が招いた罪である。
僕は唇をきつく結び、
これからふりかかるであろう修羅場を覚悟していた。

クミコはいつのまにか、寝息を立てていた。
僕はベッドをそっと抜け出し,窓を開けた。
朝まではまだ少し時間があるホテルの窓から、
少しだけ冷たくなった風が流れ込んできていた。

外はまだ暗闇だった。

おわり

noteにアップした曲もお聴きいただけると嬉しいです。
こんなストーリーのシーンを想って作った曲です。


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