人は、なぜ自ら命を絶つのだろう。
身体の痛みから解放されたい。
心の痛みから開放されたい。
とにかく楽になりたい!
きっとそうなのだろう。。。
自殺された遺族は、逝った理由を探し求め、その答えにすがろうとする。しかし、自殺する人間の多くは、ただただ死にたいだけなのだろう。とにかく楽になりたくて…
母もそうだった。
最後に母に会った時、「あんたが私に会うのはこれが最後だからね。私は死ぬんだから。嘘だと思うでしょ?私は本気だから。死ぬなんてこれっぽっちも怖くない。私は死にたいの。死ぬの。だから、もう私には二度と会えないよ。」と言った。
その時の母の顔は、血の気のない無表情。背筋がゾッとするほど冷酷で、人間とは思えない、まるで幽霊のような顔だった。。。
放送局のガイドラインには、自殺を誘発しない配慮が求められ、自殺をテーマにする場合は、必ず相談窓口を伝えるよう規定されている。
しかし、本気で死にたい人が、わざわざ自ら相談窓口を利用するとお思いか?
もし利用する当事者がいるなら、その人は「死にたくない。生きたい」と思っているに違いない。まだ救いようがあると言える。寧ろ、家族や近しい人にこそ相談窓口を利用して頂きたい。が、私達遺族は利用しなかった。頭の中に、その選択肢が全く無かったからだ。
モノクロでもお伝えしたが、自殺者の遺族は、悲しみよりも怒りに満ちる。命の尊さが正しいと確信しているからだ。なのに、なぜ?なぜ?なぜ?…と…決して辿り着く事のない答えを探して無限のループに陥る。そこから決して抜け出せない。
どんなに楽しい日々も、
どんなに素敵な記念日も、
大切に積み重ねられた年月も、
全て、一瞬のうちに崩れ去る。
輝く日々は、
二度と思い出したくない日々に
擦り変わる。
遺族にとって自殺とは、
そういうものだ。
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