Minori Soi(添 実のり)

花活け師、執筆家。 大学卒業後、総合エンタメ企業の出版社で編集担当となるところからを社…

Minori Soi(添 実のり)

花活け師、執筆家。 大学卒業後、総合エンタメ企業の出版社で編集担当となるところからを社会人がスタート。 編集者になりたてのころ、華道家・刈米義雄氏に出逢います。 そこから三十余年。いまは私も『いけばな教室「わ」』を主催するようになりました。

マガジン

  • 『母を亡くして』

    2023年7月9日、最愛の母が亡くなりました。 母がいなくなったことで、これまで団結力の乏しかった父、弟、私が協力し合わなければならないことがたくさんありました。そんななかでのエピソードをつづっています。

  • 【自己実現いけばな】

    花活け師である添 実のりの主宰するお教室でのはなし、花材や器のこと、活け込みのお仕事などの投稿を集約しています。お立ち寄り&お読みいただけたら嬉しいです。

  • 『色の歳時記』…後日談…

    Well Beingコミュニティのディスコ―ドラジオ『色の歳時記』で、番組内で伝えきれなかった内容を記録します。

最近の記事

『母を亡くして』…男やもめと愛情の先

私が実家を出て独り暮らしを始めた頃、 父はまだ会社勤めだった。 住宅地の自治会では、いろんな行事で人が駆り出される。 草刈りとか、廃品回収とか。 そんなとき、母ではなく父が率先して参加したかもしれないが、 少なくとも私の記憶では、 会社員時代の父が、近所づきあいを積極的にしていた印象はない。 しかしいま、実家に帰ると意外な父の姿に驚く。 すれ違うすべての方と挨拶している。 家に入ってから「お父さん、あの人はどなた?」と質問すると、 お名前や家の場所に加えて、ちょっとした情報

    • 【いけばなの道】花器との出会い

      いけばな教室「もの言う花」は、いけばな教室「わ」に改名しました。    *    *     * 抑圧されていた 買い物欲の蓋が開いてしまいました。 昨日の護国寺に続き、 今日は東京・国際フォーラムの 大江戸骨董市に出没。 一周してもう帰ろうと思ったところで、 画像左のガメイガラスが私を呼んだ。 陽の下でみると、品のあるうっすらとした七色。 似たような海外製もあるけど、 発色もキツくて下品なの。でもこれは違う。 もう一つ、琥珀色のは 少しだけダメージがあったけど、 び

      • 『母を亡くして』…父といけばな

        #創作大賞2024 #エッセイ部門 会社員生活を終えるとすぐ家庭菜園をはじめた父。 もう20年も続いている。 「野菜が俺を呼ぶんだよ。手招きするんだ。だから会いに行かないと」 毎日、畑に通う姿は本物の農家さんだ。 一方、食べられない植物には驚くほど冷たい。 庭の柏葉あじさいや、つつじがどんどん枝葉を伸ばすと 「育ちすぎて鬱陶しい、抜いてしまおうか」と脅す。    *   *   * そんな父が、 否応なく切り花と向き合うことになった。 2023年7月9日に亡くなった

        • 【心が何か言ってる】地下鉄の中で…

          丸の内線…だったと思う。 ある日、電車に乗っていたら、こんなことがあった。 私は扉脇に立っていた。 時間は昼前後、車内は立っている人もまばらで、 比較的すいていた。 ある駅で、私の傍の扉から おばあ様と娘さんと思われる5,60代の女性が乗り込んできて、 優先席に二人して座った。 その直後、同じ車両ながら少し遠くの扉から入った親子がいた。 子どもは小学4年生くらいの男の子。 その子は車両に乗り込むと、スタスタと近づいてきた。 優先席に座ろうとしたのだ。 ところが優先席は、

        『母を亡くして』…男やもめと愛情の先

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        • 『母を亡くして』
          5本
        • 【自己実現いけばな】
          8本
        • 『色の歳時記』…後日談…
          2本

        記事

          『母を亡くして』…父の手料理

          ※画像は父が家族にふるまった手料理 母が入院した日と同じくして、 福岡から弟が緊急帰省し、 そこから父、弟、私のにわか3人生活が始まった。    *   *   + 別の章にも書いているが 父は退職する少し前に、料理学校に通った。 “定年離婚”と言う言葉が流行っていた頃で、 父の身勝手に呆れた母はたびたび、 「子供たちが20歳を過ぎたら離婚する!」と他人の前でも宣言していた。 それを気にしていた父は当時、 「せめて料理を覚えて女房孝行したい」と、 新橋第一ホテルの「男の料理

          『母を亡くして』…父の手料理

          『母を亡くして』…存在証明➀

          人が死ぬ。 その数日後には葬儀が行われる。 死んでから、姿かたちがなくなるまではあっという間だ。 けれど一方で、 その人が生きた証は、いろんなところに存在する。 思い出のことじゃない。 たとえばクレジットカードや銀行口座のことだ。 「銀行口座は最後まで止めるな!」。 経験者から迷信のように聞く。 実際、私の叔母も夫の死後、早々に口座を閉じてしまい、 葬儀代を払うのに苦労したらしい。 そんな話を聞いても当時、私は気にすることはなかった。 火葬には役所への死亡届の提出が必要

          『母を亡くして』…存在証明➀

          『母を亡くして』…リモートディナー

          2023年7月9日に亡くなった母にまつわる話です。 *     *     * 母亡きあと、父がもっとも寂しかったのは 夕食の時間だった。 少し前まで、自分の向かい側に座り、 夕食を共にしていた人がいないという現実は、 父にとって、耐え難い時間だったに違いない。 父は、家事炊事なんでもできる。 退職前に、新橋第一ホテルが主催していた「男の料理教室」に通い、 和食と中華の基礎を学んでいた。 当時、“定年離婚”という言葉が流行っていて、 「自分も例外ではないかもしれない」という

          『母を亡くして』…リモートディナー

          【心が何か言ってる】能登地震から

          能登半島地震から1か月が経った。 数日前、ボランティアの方々の活動が 開始されたというニュースを見た。 とあるニュース番組を見ていたら、 ボランティアさんたちが作業している家に、 1人のおばあちゃんが訪ねてきて、こう言った。 「(私のうちもお願いしたいけど)それにはどうしたらいいの?」 対応した方は、 ボランティアによる作業依頼の募集が締め切られていることを告げ、 次の募集を待つよう促した。 でもね。たぶん、次の募集があっても このおばあちゃんはエントリーできないよ。

          【心が何か言ってる】能登地震から

          『母を亡くして』…母と似た人

          2023年7月9日に亡くなった母にまつわる家族の話です。 *     *     * いつからだろう、母の外出には帽子が欠かせなくなった。 頭部はまあるく7㎝から10㎝のツバが全体についたタイプで、 色や素材違いでいくつも持っていた。 帽子をコーディネートにうまく取り入れられない私は 「オシャレね」と母を褒めた。 実際、よく似合っていた。 だが帽子をかぶり始めたきっかけは、 ボリュームの出なくなった髪をどうにかしたかったから。 コンプレックスだった。 そんな理由であっても、

          『母を亡くして』…母と似た人

          『母を亡くして』…思い出の着物

          2023年7月9日に逝去した母にまつわる話です。    *     *    * 母は着物好きだった。 が、それを知る人は少ないと思う。 和装で外出することは滅多になかったから。 でも、実家の2階の和室にある二竿の和ダンスには、 ぎっしりと母の着物が詰まっている。 5月、亡くなる2か月前。 私は、ホテルで開催されるパーティーに 着物で参加することになり、 母のものを借りるため、すべて見せてもらった。 茄子紺の地に真っ白な月下美人の染め、 光沢のあるグレーに螺鈿で描かれた花

          『母を亡くして』…思い出の着物

          『母を亡くして』…父娘ふたり旅

          2023年7月9日に逝去した母にまつわる話です。    *     *    * 母の親戚は関東に集中しているのに対し、 父は新潟出身で親戚も新潟県内。 葬儀には“親戚代表”が車で駆けつけてくれたが、 参列が叶わなかった方たちへの挨拶回りのため、 四十九日法要を終えて車で新潟に向かった。 父娘ふたりだけの旅、 まして泊まりでなんて、考えたこともなかった。 「同室でなくてもいいぞ」 ホテルの予約にあたって父は私に気を使ったが、 照れや毛嫌いする多感な時期はとうに過ぎてる。 別

          『母を亡くして』…父娘ふたり旅

          『母を亡くして』…茅ケ崎へ

          2023年7月9日に逝去した母にまつわる話です。    *     *    * 今日は、両親が結婚直後に住み始めた茅ケ崎に来ている。 亡くなった母の銀行口座を閉じるにあたり、 母が戸籍を置いていたすべての場所の謄本を得る必要があり、 この日、茅ケ崎市役所を訪れたのだ。 私はここで生まれた。 この地を離れたのは40年近くも前のことだ。          * 私たち家族が住んでいたのは、平和町という茅ケ崎の外れ。 近くに辻堂行きのバス停があったこともあり、 買い物などの用事

          『母を亡くして』…茅ケ崎へ

          『色の歳時記』‐シックス・センス‐

          今晩は。 添 実のりです。 私がパーソナリティを務める番組『色の歳時記』。 季節的なお話は冒頭に集約し、 映画やドラマ、キャラクターなどの場面や衣装の色を題材に お話しするような形にしました。     * その第3弾は映画『シックス・センス』。 何はともあれ、映画を観ようと 配信サイトをチェックするも、ほとんどリストにない💦 Amazon Primeでは「あなたの地域では閲覧できない」みたいな メッセージが出て、本編を前にミステリーを感じました。 結局はブックオフでDVDを

          『色の歳時記』‐シックス・センス‐

          『色の歳時記』M.サッチャー鉄の女の涙

          添 実のりです。 私がパーソナリティを務める番組『色の歳時記』。 今年は、「色のおはなし」パートを拡大しました。 色の意味をかみ砕くだけでなく、 リスナーの皆さんと一緒にイメージできるものにしたい、ということで、 映画やドラマ、キャラクターなどの場面や衣装の色を題材にしています。   *     *     * 4月オンエアでは 映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を取り上げました。 ◆マーガレット、政界への一歩 色:食事会に初参加する際の水色のスーツ。 食

          『色の歳時記』M.サッチャー鉄の女の涙

          「色の歳時記」‐色で見るラ・ラ・ランド

          今晩は。 添 実のりです。 2022年6月から始まった 私がパーソナリティを務める番組『色の歳時記』。 今年は、カラーセラピストとしての一面をクローズアップして、 「色のおはなし」パートを拡大することに。 色の意味をかみ砕くだけでなく、 リスナーの皆さんと一緒にイメージできるものにしたい、ということで、 映画やドラマ、キャラクターなどの場面や衣装の色を題材に お話しするよう内容を変更しました。     * 第1回は、私の大好きな映画『ラ・ラ・ランド』。 女優の卵ミアの成功物

          「色の歳時記」‐色で見るラ・ラ・ランド

          『色の歳時記‐黒白つける?』

          Well Being協会、 ディスコ―ドラジオパーソナリティー、 「自己実現いけばな」教室主宰の添 実のりです。       *    今回も11月20日放送のなかから、 お伝えしたいと思います。 前回は、 喪服の白と黒について 「誰の視点でその色をまとうのか」。 https://note.com/mono_iu_87/n/nb971a0eafb65 今回は、 「白黒つける、と言うけどさ」(笑)。 そう、白と黒は2択ではないということです。 真っ白と、真っ黒のあいだにあ

          『色の歳時記‐黒白つける?』