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『母を亡くして』…母と似た人

2023年7月9日に亡くなった母にまつわる家族の話です。
*     *     *
いつからだろう、母の外出には帽子が欠かせなくなった。
頭部はまあるく7㎝から10㎝のツバが全体についたタイプで、
色や素材違いでいくつも持っていた。
帽子をコーディネートにうまく取り入れられない私は
「オシャレね」と母を褒めた。
実際、よく似合っていた。
だが帽子をかぶり始めたきっかけは、
ボリュームの出なくなった髪をどうにかしたかったから。
コンプレックスだった。

そんな理由であっても、
母は帽子選びを楽しんで、数はどんどん増えた。
とくにターコイズや山吹などカラフルな色は、
はつらつとした印象を醸し出し、若々しく見えた。

        *

世の中の、母と同年代と思しき女性の多くは
帽子にリュックか斜め掛けバッグ、スニーカー。
“格好が母に似ている”人だ。

それが、母の死を境に、
その女性たちは、“母を感じる人”へと変わっていった。
服装、小さな体、券売機などの機械が苦手なところ。
街を歩く速度が周りより少し遅かったり、
手すりにしがみつくようにして昇り降りする駅の階段。
そんな姿につい、心配がちな眼差しを向けてしまう。
ときには、娘らしき中年女性と腕を組んで歩く2人連れもいて、
「長生きしていたら、私たちもあんな感じだったかな」と、
想像することもある。

         *

母親を亡くしたある友人は一時期、
あかの他人である母親の同年代女性を敵視して、
「私の母は死んだのに、なぜあなたは生きてるの!」
と、心のなかで叫んでいたそうだ。
私は逆で、敵視どころか、みな母のように見えて仕方ない。
いまや「何か困ってますか?」と声をかけるまでになった。

我が家の場合、口の達者な娘に、
母はやり込められてしまう場合が多かった。
遠慮のない表現で、母を黙らせてしまうことがしばしばあった。
感情をそのままぶつけた、キツいもの言い。
いま思い返すと自分の未熟さに呆れ、
どれほど母を傷つけたか……後悔ばかり。

そういった昔の記憶が刺し込んでくるたびに、
遺影に向かって謝るが、母に届いているだろうか。
だから…というわけではないが、
お年寄りへの親切は、
さながら小さい徳を積む「修行」のようで、少し楽しい。
私と同じ気持ちになる人が増えたら、
日本のお年寄りは、いまよりもっと生きやすくなるだろうか。

(了)