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『母を亡くして』…男やもめと愛情の先

私が実家を出て独り暮らしを始めた頃、
父はまだ会社勤めだった。
住宅地の自治会では、いろんな行事で人が駆り出される。
草刈りとか、廃品回収とか。
そんなとき、母ではなく父が率先して参加したかもしれないが、
少なくとも私の記憶では、
会社員時代の父が、近所づきあいを積極的にしていた印象はない。

しかしいま、実家に帰ると意外な父の姿に驚く。
すれ違うすべての方と挨拶している。
家に入ってから「お父さん、あの人はどなた?」と質問すると、
お名前や家の場所に加えて、ちょっとした情報も添えて教えてくれる。
「あの人は車が大好きで、いつも洗車したりいじってる」
「白い犬を散歩させてる人? 路地を入った角の家の人だ」
といった感じで。

*    *     *

きっかけは、父の退職と野菜作りではないかと思う。
会社員を卒業後、母の勧めで始めた家庭菜園は20年も続いている。
父は研究熱心、野菜に愛情もたっぷり注いでいるので、
お分けした皆さん、本当に喜んでいただいている。

  *    *     *

じつは、私の実家の周りには、
妻に先立たれた孤独な老年男性が何人か住んでいる。
ある人は、あまり客人を寄せ付けず
父に「もう野菜を持ってこなくていいよ」、という人がいるかと思えば、
せっせと父に料理を運ぶ人もいて、なかなか個性豊かだ。

じつは、その料理を運ぶ人…T氏と父の関係が
さらにおもしろい。
例えば父は、一度の食卓に何品かが並ぶのが好きだ。
一方(おそらく)T氏は、一品のにすべての具材を入れ込んで
炊く料理が得意なようで、
昆布、タコ(ときにはアサリ)、竹輪、人参…と贅沢。
ただし具材の違い以外は味付けが同じらしく、
それが父の好みでないらしい。
私が実家に帰るたびに、冷蔵庫にパックが入っていて、
「持って帰っていいぞ」と言われるが、私はおいしくいただいている。

「Tさんはお父さんのこと好きなんじゃないの?」
とからかうことも。

昨日実家に立ち寄った際、
父は大量に作った肉じゃがを私に持たせてくれたのだが、
今日、T氏自作の肉じゃがを父に届けてくれたそうだ。
ここまでくるとシンクロしすぎて笑える。

子どもたちが巣立っていき、
妻に先立たれた男たちは、愛情の持っていき場を失い、
いつしか互いに世話を焼き始めたのではないか。

  *    *     *

こんな感じで、老人たちのご近所づきあいは微笑ましい。
ある日、実家に戻ると、居間のテーブルに熨斗のついた袋があった。
いつも父の野菜をおすそ分けしていた独り暮らしの奥様(94歳)が、
実娘のところに身を寄せることになり、
家を売却し引っ越すのだと。熨斗はいままでのお礼だった。
父は、自分が育てた野菜を奥様におすそ分けすると、
奥様がお礼に和菓子をくださる。
そんな関係だったが、お付き合いのある方がいなくなるのは
寂しかったのだろう。
その日の夕飯で父は、私に言うでもなく
「一人の食事は寂しいなぁ。味付けを褒める人もけなす人もいない」
とつぶやいた。
母の一周忌を終えた翌週のことだ。

  *    *     *

母が亡くなってから6,7か月は、
私が毎週、金曜日の仕事終わりに実家に駆け付け、
日曜日の夕飯まで父と一緒に食事をしていた。
料理するのは父の担当だったが、私に甘えていると感じていたのだろうか、
ある日「もう大丈夫だ。来れるときに来てくれればいいぞ」と自立宣言し、
私も月に1,2週帰るくらいにとどまった。

でもそれは、はったりだったのか。
私が目の前にいてもいなくても、終わることのない父の虚無感。
それは、娘の私でも埋められないものだった。

(了)