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年賀状

新年の挨拶連絡が0時の瞬間からひっきりなしに届く・・・

なんていうのも、SNSが普及した現在では減少行動のひとつだ。
何故なら、一人一人に送らずとも挨拶投稿をしてしまえばいいのだから。

そう、けして年賀状というアナログ式が熱く復活したわけでは、ない。
こちらも、会社組織に属していなければ、年々減る一方だ。

でも、それでいい。負け惜しみではない。

なんでもかんでもデジタル化を推進するこのご時世に、未だ人気アイドルを起用しての年賀状促進CMもいかがか、と思いながら一切準備をせずに年が明けた。

家族もいない独身なれば、使える写真も報告もない。

普段、連絡をとらない相手との唯一のやりとりが年賀状
・・・っていうのも、いかがか。
そんなに連絡をとらない相手なれば、その一度のやりとりの必要性レベルと資源削減の問題レベルと比べたなら、結果は歴然だ。

安否や状況を確認するならば、一年間消息すら定かじゃない相手の居場所とこちらが勝手に思っている住所に送り、相手にちゃんと届いているかどうかわからないような手段のハガキよりも、直接携帯しているものに連絡をする方が明らかに効率がいい。

その手段がないのであれば、それだけの関係であり、
それだけの関係ならば、新年の挨拶が出来なくとも気にする必要はないし、相手も気にしないだろう。

あと年賀状って・・・捨てにくいしさ。



「ちょっとー年賀状、仕分けてくれたー?」
台所からの母親が聞いてくる声に背を向けたまま、
「うーん」
と気のない返事をしつつ、コタツで届いた家族の年賀状を、宛名でそれぞれに分けるのが元日、おせちを食べる前の光景だ。

これがなくなるのも、さびしい
・・・のもたしか。



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