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『満月珈琲店の星詠み〜本当の願いごと〜』を読んで

今日は前々から気になっていた『満月珈琲店の星詠み〜本当の願いごと〜』という本を読了した。綺麗な表紙絵に惹かれて読み始めたのだが、中身もとても読みやすかった。実は、最近本を読むことが滞っていた。直近まで読んでいた本にかなりの時間を費やしてしまい、新しい本を読むことができなかった。そして、昨晩その本を読み終えてすぐ、この物語を読み始めて、先ほど読み終えてしまった。物語の内容も表紙の綺麗さに負けないぐらい素敵なものであった。こういう話こそ今の自分が求めているものなのだと思う。大きな安らぎと癒しを感じた。



この本の中で、新しい気づきがあった。それは持って生まれた才能、いわゆる"天性"について。この本の中で、それはRPGと照らし合わせて説明されていたのだが、その説明が妙に納得できた。



天性というのはRPGの主人公が最初から持っている武器のようなもの。その武器を持っていること自体に特別違和感を感じることはないし、当たり前のように使い方を知っている。でも、進んでいくにつれて、その武器では太刀打ちできないような場面に直面し、それを突破するために新しい武器を手に入れたり、自分自身に磨きをかけたりする。だからと言って、その武器がなくなることはないし、最後のボス戦で一撃を差すのはその武器だったりする。

(※自分はRPGをやったことがほとんどないので、実際のところは分かりません。そして、この説明はこの本に書いてあったことそのものではなく、僕自身の解釈も結構混ぜています。)




生まれ持つ才能や性格を好む人もいれば憎む人もいるだろう。そして、それに気付かない人もいるだろう。それを憎む人であれば、その天性を必死に否定し、矯正し、なりたい自分になろうとする努力をするのかもしれない。自分もそういうタイプであった。



でも、このRPGの喩えを読んだ時に、天性を嫌う必要なんて全くないんだな、と思った。自分の天性に気づくことができ、それを好むことができる人間は、様々な経験や感情を通して、その天性を一生懸命大切に磨いていけばいい。気づくことができたものの、それを好きになれない人間は、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら新しい感性や考え方を手に入れて進んでいけば良い。ただ、嫌いだからと言って、その天性を捨てる必要など全くないのだ。RPGのボス戦のように、これからのどこかできっと役に立つ時が来るはずだから。幸いにも、RPGと違って人生には持ち物に制限がない。「新しい武器を手に入れた!しかし、これ以上持つことができません。どれを捨てますか?」というメッセージが表示されることなんてないのだ。色んな武器を手にした結果、「あれ?結局最初から持ってたやつが一番使いやすくね?」って気づくこともあるだろう。そういう時に、「あ、でもあれはもう捨てちゃったか」となるのはどこか勿体ない気もする。その時にその武器を残しておけば、「よし、これをもっと使いやすくしよう!」と磨くこともできるのだ。



とはいえ、そういう自分の天性に気づくこと自体が意外と難しかったりする。自分もまだ完全には自分の天性に気づくことができていないのだと思う。ただ、いつかそれを見つけられた時は、たとえそれを持った自分がどれだけ嫌いであろうと、この本から教わったように、そっとリュックの底に忍び込ませておこうと思う。





拙い読書感想文ですが、読んでいただいた方、ありがとうございます。





Twitter:檸(@nei_monologue)

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