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実は、好きな人がいるんです。

こんな話をするなんて、私も自惚れたものだと思うのですが、でも、誰かに聞いてほしくて。上手く書けるか分かりませんが、少しだけお話しさせてください。








その人は、とてもとても優しい人でした。

いや、私だって、この"優しい"という言葉が途轍もなくいい加減な言葉だということは重々承知しているつもりです。誰に対しても使えてしまう、とても便利で浅い言葉ですよね。でも、その人は少し違うんです。もっと格別な、優しさには収まらない温かさや儚さを持っているんです。






その人とは、最寄り駅が同じ方向だったということもあり、以前より帰り道に何度かお話ししたことがありました。彼は、人見知りなのか、あまり自ら話をすることがありませんでしたので、大抵、話題を振るのは私の方でした。かと言って、私も人と話すのがあまり得意ではなく、友達も多くいません。気まずい雰囲気をなんとか脱しようと、頭に浮かぶ話題を手当たり次第に振りました。とても他愛のない話です。例えば、子どもの頃の夢はなんだったとか、春夏秋冬はどれが好きかとか。時には「目玉焼きには醤油かソースか」なんていうどうしようもなく下らない話もしました。しかし、彼はどんな話にも微笑んで、優しく応えてくれました。「桜が咲く春頃が好き」とか「醤油一択かな」とか、無難な応えばかりで、話が膨らむことはあまりありませんでしたが、私は不思議な安心感を抱きました。きっとそれは、彼にとっても同じだったと思います。





こんなことを繰り返していると、殆ど無口であった彼は少しずつ自分から話してくれるようになりました。場面は決まって帰り道です。彼と私はとても似ていました。だって、その人がする話も本当にどうでもいいことばかりでしたから。「明日からかなり寒くなるみたいだね」とか「そろそろ冬服買わないとなー」とか。時にはなんと反応したら良いか困ることもありました。それでも、私は嬉しかったんです。少しずつ心を開いてくれているのかなって。これまで、私たちは下ばかり向いて歩いていました。比喩ではありません。きっとお互い目を合わせるのが恥ずかしかったのです。それがこの頃から少しずつ顔が上がるようになってきて、自分でも驚くことに、初めて私はその人の顔をちゃんと見たのです。前髪の毛先が鬱陶しそうにかかっている目はとても澄んでいました。ハッとして、すぐに目を逸らしてしまいましたが、それはあまりにも失礼だと思い、もう一度見ると、彼の目ももう先ほどの場所にはありませんでした。あの時の私たちの顔の赤さは、果たして寒さのせいだったのでしょうか。






本格的に冬が始まると、少しずつ待ち合わせをして帰ることも多くなっていきました。話す内容も、今までの他愛のなさを帯びつつも、少し踏み込んだ話をするようになってきました。その人は私に「今までの恋人はどんな人だったの?」とか「どんな人がタイプ?」とかそういうことを聞いてきました。挙げ句の果てには、「今、好きな人はいるの...?」とも。私は駆け引きがとても苦手です。この時もどう答えたらよいか逡巡しました。彼の思いと私の思いが綺麗に満たされるためにはどっちを言えばいいんだろう?少し恥ずかしくても「いるよ...?」と言っていいものなのかな?必死に口から零す言葉を考えました。でも、私は気付いていたんです。その時の、彼の声がいつもより少し震えていたことを。だから私は言いました。

「うーん...今は多分いないかな。」






きっと彼には、度胸というものが備わっていなかったのでしょう。それ以降、彼は「クリスマス暇だなぁ...」とか「なんか今欲しいものはあるの?」とか何かを唆すような話をすることが多くなりました。しかし、当たり前のように、その"何か"を私たちは知っていました。駆け引きというものは恋の付き物なのでしょうか。もっと率直に誘ってくれればいいのに。言葉にしてくれたらいいのに。そしたら私も貴方も楽になれるのに。しかし、度胸がないのは私も同じです。またしても返答に困ってしまいます。ただ、悲しいことに、私はクリスマスに県外に出る予定がありましたので、そのことだけはしっかりと話しておくべきでした。その人は少し寂しくも平気そうに「あ、そうなんだね」と呟きましたが、そのあと私が「お土産買ってくるね!」というと、あの澄んだ目をこちらに向けて微笑んで、「うん、ありがとうね」と優しく応えるのでした。








その箱を開けると、中には腕時計が入っていました。驚きのあまり、私は思わず口に手を当ててしまいました。聞いたことのないブランドのものでしたが、それは落ち着いたお洒落さのあるデザインで、正直言って私の好みに合っていました。何ヶ月か前に、電車の中で「付き合ってもいないのにアクセサリーとか送ってくる奴、マジなんなの?笑」という会話を、いかにも男受けの良さそうな女性2人がしているのを聞いた私ですが、そんなことお構いなしに、とても嬉しく思いました。だって、最初は自分から話すことさえできない人だったわけだから。ただ、プレゼントを渡すその時も、彼は特に張り切る様子もなく、さりげなさを装って「よかったら、使ってね。」と言うだけでした。
私は、思わず、泣きそうになりました。それは嬉しかったのももちろんですが、その人の不器用さに対してのものでした。優しい人は、きっと不器用な人が多いのでしょう。私はとうとう、その不器用さがいたたまれなくなって、思い切って自ら伝えてしまおうかと思いました。そうしないと、この曖昧な状況がいつまでも続いてしまう気がして。いや、実際はもっと早く伝えるべきだったのです。貴方に「好きな人はいるの...?」と聞かれたあの時に。この曖昧さが恋の醍醐味だという話もいくつか聞いたことがありましたが、私はそれは良くないと思いました。

でも、私はどうしても伝えることができませんでした。なにしろ、優しいかは別として、私も彼と同じくらいに、不器用な人間でしたから。













着信音が鳴ったのは、23時をまわった頃でした。丁度、布団に入ろうとしていた時だったので、タイミングの悪さを感じて、いささか苛立ちました。しかし、枕元に置いてあったスマートフォンの画面にその人の名前を見ると、急に落ち着かなくなってソワソワしました。今までも電話をしたことは数回ありましたが、こんな時間にかかってきたことは初めてです。出ようかどうか迷いましたが、どこか予期せずにはいられませんでした。この電話をとったら、今までの曖昧さが全て晴れるのかもしれない。希望を込めて、スマートフォンを耳に近づけました。

「もしもし?」
「あ、夜遅くにごめんね。実は話したいことがあるんだけど...」















その人は、缶コーヒーを片手にブランコに座っていました。どこか緊張した面向きを見ると、私の予想は確信に変わりました。私が右手を挙げると、その人はぎこちなく含羞んで、立ち上がりました。





「ごめんね、急に呼び出して」


という第一声には、その言葉の本意とは別の申し訳なさが感じ取れました。なので、私も





「ううん、大丈夫だよ。突然だったから、部屋着で来ちゃったけど(笑)」


となるべく明るく応えました。







今度は2人でブランコに座ります。彼とは対照的に、私はとても落ち着いていました。まるで、私のこの落ち着きは桜の花弁を舞わす風のようだと思いました。そんな自惚れた喩えを考えるぐらいに落ち着いていたのです。
貴方がこの後に零すであろう言葉を、貴方は今考えているのでしょうか。それとも、事前に考えてきたのでしょうか。



でも、私の返事はもう決まっています。何ヶ月も前から。腕時計が入った箱を開ける前から。貴方が私に「好きな人はいるの...?」と尋ねてきたあの時から...!







そして、その人は立ち上がりました。
私はしっかりと、その顔を見上げました。
その人の目がいつも以上に澄んで見えたのは月明かりのせいでしょうか。







「ずっと前から好きでした。良かったらこれからもずっと一緒にいてください。」








私はあまりに美しいその目に思わず吸い込まれそうになりましたが、私も私なりに決心してきたのです。

そして、少し顔を俯かせて、ようやく、貴方に、この言葉を伝えます。









「......私、実は、好きな人がいるんです。」



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