音楽と心理学が人生を変えた本当の物語。第1章結。
実を言うと高校デビューするためにSNSを始めていた。
たくさんの同級生と繋がって、最高のスクールライフを描くことを夢見ていた。
この若者の間で話題になっているツールを使って、
ブログのような日記を書いたり、日頃の思いを呟いたり、
俺にとっては順風満帆な生活の一部を切り取るというより、
単なる愚痴を吐き出す、ストレス発散になっていた。
フォローしあっている友達は数える程で、
その中には彼女も含まれていた。
『今日はなんだかだるかった。だから友達と学校抜け出してやったよ。』
何気ない愚痴。すぐに反応が来たがそれは一緒に抜け出した友達だった。
『マジ最高だな。』
他の何人かも面白がってコメントしてきた。
別に学校なんて一度や二度、抜け出したりサボったりすることあるだろう。
世の中には不登校だっている。大学にもなれば自主休講は当たり前。
深く考えて書いたわけじゃないし、音楽を聴きながらのんびりしていた。
この時間は両親もいない、自由な時間。
親友二匹とまともにじゃれ合うのも何だか久しぶりだ。
気付いた時には陽も落ち、いい感じにお腹も空いてきた。
適当にスナック菓子を食べながらPCを眺めていると、
見覚えのある、最も親しい名前からのコメントが来た。
『どういうこと?サボったの?』
内向的な人間は、意外と人の気持ちを察するのが上手い。
どうやら彼女は怒っているらしかった。
…?
なぜ怒っているのかは分からなかった。
けれど俺が学校をサボったことに怒りを感じているのは確かだ。
携帯を開いてみると、画面には一通の新着メール。
「ふざけないで。なんだと思っているの。」
「いや、普通にしんどいから、早退しただけだよ。」
なんだか汗が止まらない。そんなに悪いことをしたのか。
「サボったんでしょ?あの書き方。」
「もしそうだとして、何か問題あるの?」
俺は反発した。喧嘩になることを恐るよりわけがわからなかった。
「あなたの通ってる学校に落ちた子もいるんだよ!
あなたはその人たちのことを考えたらそんなこと出来ないでしょ!」
…は?何を言っているんだ、この人は。
どんなに志望校に合格して通えたって、入ってみないとわからない。
馴染めなかったり、不都合が生じたり、何か障害が起こることもあり得る。
それに世の中には腐る程、理由もなくサボる奴はいる。ごまんといる。
そこからはもうお互いに止まらなかった。
携帯の画面が埋まるほどの反論を書き殴った。
自分でもよくここまで言葉が出てくるなと感心するほどに。
こうなったら和解の余地はないと察した。熱は一度冷めると二度とは戻らない。
「少し距離を置かせて。あなたは真面目な人だと思ったのに。」
あなた。何度も使われた二人称。終わりは呆気ない。
記憶を置き去りにし、終わり悪ければ全て悪し。
儚く散った。たった数ヶ月の花びらは。
次の日に学校に行くと自体は深刻になっていた。
「別れたんだって?」
同じクラスにいた、中学からの同級生の女子に尋ねられた。
「何で別れたの?理由教えて。」
女子の情報網はさすがだ。感心したと同時に、
なぜ細部までは伝わらないんだと疑問に思う。
「喧嘩をしたんだ。なんか俺のことが気に食わなかったらしい。」
かく言う俺も細部まで情報を教えない。
俺が学校をサボったらフラれたなんて、
滑稽すぎてなんて説明していいかわからない。
どちらかと言えば、サボることなんて気に病む事でもないし、
そんな事でフってくる、元彼女のことをかばったくらいの勢いだ。
「ふーん。よくわかんないけど、ドンマイ。」
興味ないなら聞くなよ。
心の中で愚痴りながら、今日もサボりたい気持ちに襲われる。
一度悪行を働いた者は、その箍が緩み罪悪感を感じなくなることはよく聞く。
それに俺が当てはまるなんて、この時は思ってもいなかったが、
間違いなく以前に増して、この場所への嫌悪は復活しつつあった。
「は?別れた?何で。」
バスケ部の仲間からの口撃は止まらない。
その真意は別れたことに対して責めているのではない。
いじる対象がいなくなることに対して憤慨していることは察しがつく。
「まあ、なんか学校サボったら、フラれました。」
「その定義で行くと、俺は何回女にフラれるんだろうな。」
毎週のようにサボったり遅刻したりする先輩からの一言。
「俺にもわかりませんよ。こんなことで嫌われるもんなんですね。めんどくさ。」
ことの経緯を話しながら今日も変わらず籠にボールを投げ入れる。
そんな景色を見ながら、俺は自分の心の影が深くなっていることに
気が付き始めていた。
どんなに綺麗な花でも、一度枯れてしまえば、その個体は元には戻らない。
どんなに美味しい料理だとしても、毒を入れれば凶器になる。
朧げながらも楽しいと思える日常なんて、終われば幻想なのだ。
俺が恋愛に勤しんでいた頃は、両親もなぜか平和に過ごしていたようなのだが、
ここにきて険悪なムードが再加熱する。
俺のせいなのかと疑うほどタイミングが悪い。
父親が何かをしでかしたらしい。
帰ってくるや否や、携帯を片手に母親からの怒号が飛び交う。
実は1年前にもこの景色を同じ場所から見ていた。
慣れとは怖いものだな。呑気に思いながら、そっとその場を立ち去る。
自体を軽く見ている時ほど、傷口は広がり、
それはいずれ取り返しのつかない状態になる。
それに気がついた時にはもうそこには何もないらしい。
居場所というのは誰かが与えてくれるものではない。
自らが勝ち取り、場所を共有しながら、生きていかねばならない。
そんな単純なことを理解していなかった俺は、
自らを手にかけ、全てを黒く塗るための撒き餌をしてしまったらしい。
両親との喧嘩を目の当たりにしたこの日を境に、
学校、部活、人間関係、今を取り巻く環境全てに嫌気を差すのだ。
「なんだか顔色悪いね?」
次の日の朝、席に座ると同時に隣の席の女子に尋ねられた。
「うーん、ちょっと眠いかも。」
はぐらかすつもりはなかったが、クラスメートに話せるような軽い話じゃない。
記憶も曖昧なまま、昼休憩を迎えた。
この高校のお昼時は弁当や買ってきたものを持参する。
しかし、今日はその命綱を持っていない。
我が家は喧嘩があった次の日は、弁当が用意されていないことが多々ある。
それ自体に文句は言えまい。自分で作ればいいのだから。
しかし、自分で作って食べたくなるほど、食に執着していないし、
自分の食欲にも無関心だ。
悲鳴を上げる腹部を無視し、ただひたすらに黄昏ることに集中した。
勿論、クラスメートには不思議がられる。
一々説明するのも面倒くさいから、適当に。
「今日はなんか食べる気がしないだけ。」
この手の回避はお手の物。伊達にボッチを極めていない。
放課後、部活には向かった。
もうほとんど怪我は治っていたけれど、復帰する気にもなれないから、
マネージャーの手伝いの続行。
案外、何も食べなくても仕事はできるんだなと、感心しながらも、
目に映る映像に感情を移入することはできなかった。
今日1日が本当にあったかどうかも認識できないまま、
自宅に帰り、なんとか横になる選択ができた。
リビングにあるソファーに寝そべる。
親友二匹が迎えてくれた。この時間は至福の時。
両親が帰ってきて、険悪ムードは続いていたが、晩御飯は出るらしい。
ソファーから身を乗り出し、定位置に座る。
全員が無言のままの、空気の重い食卓に、吐き気を催しそうだ。
味もしない、笑顔をもない、聞こえてくるのはテレビの雑音だけ。
咀嚼音も気まずさを物語っている。
あまり食欲のなかった俺は、すぐさまソファーに戻り、
全員が食べ終わるのを待とうとしていた。
その時だった。何かがおかしい。体が虚ろう。
気付いた時には手には赤い液体が流れていた。
意識はある。痛みもない。なのに何だ。
俺は現状を受け止めてはいたがどうしていいかわからずに
自分の部屋へと駆け上がった。
両親は驚いた様子で俺のことを心配そうに声をかけてきたようだが、
自分の身は自分で守る。そうと言わんばかりに、寝床に突っ伏した。
---気付いた時には朝になっていた。
いつものようには動けないが重たい体を起こし、
リビングに向かった。
「あんた大丈夫なの?」
母親らしい言葉に特に感情は動かなかった。
「まあ、大丈夫じゃない。一応、病院には行こうと思うけど。」
「もう休みは取ってあるから。身支度しなさいね。」
用意周到。少し言葉は違うと思うが、ありがたい。
制服に着替えて、学校には連絡。
そのまま内科へと向かった。
「ストレス性の胃炎か胃潰瘍かもしれませんね。」
俺には自覚がなかった。それで吐血するとは思いもしない。
「何か最近思い悩んだりすることはないでしたか?
この症状の場合に出せる薬は決まってはいるので、
多少良くなるとは思うのですが、でストレスを根本的に解消しないと
治るもの治らないとは思います。」
率直に言ってくれて嬉しいのだが、問題はそんなに単純ではない。
「はあ、そうですか。自分でも混乱しているので、よくわかっていません。」
「少しゆっくりして生活リズムなども見直しても良いかもしれませんね。
また数日後様子を見させてください。」
「ありがとうございます。失礼します。」
滞在時間はそれほど長くはなかった。
「あんたストレス感じてたの?家があんなだもんね。ごめんね。」
「俺の体調管理だよ。怪我とかあったからかも。」
冷静に考えてみれば、原因は明確ではあったが、解決策は不明確。
「それにしてもすごい色の薬ね。いかにもって感じ。」
緑色の液体。飲む前から気持ち悪くなるのわかるほどのドロドロ感。
このせいでストレス溜まるだろ。軽くツッコミを入れた。
近くにバス停があったので、そのまま学校に向かうことにした。
「部活は休みんさいよ。それじゃ何もできんでしょ。」
「はいはい。今日は早く帰る。」
本当は乗りたくもないバスに乗り込み、窓から景色を眺めることにした。
「何その色の液体?気持ち悪い。」
ごもっともだ。クラスメートがこんな色の薬をカバンから出したら
ある意味で興味が湧く。
「ほんまにね。どんな味なんかわからんけど、億劫だわ。」
昼時に学校に到着し、薬を飲む時間になっていたから、ここで実食。
「メロンや。ドロドロにして、甘さを抜いたメロンや。」
そしてこの日から、1年生が終わるまで、俺の体調が戻ることはなかった。
薬を飲み始めて早1ヶ月。
お腹の調子によっては保健室にお世話になったり、
早退することも増えていた。やはり一筋縄ではいかない。
学校に来ようが、部活に行こうが、家に帰ろうが。
全てにストレスの元凶がある以上は悪化するのも無理はない。
笑顔の作り方をだんだんと忘れていく。
両親による夜の論争は日に日に激しさを増し、
そこに俺が当事者となって居合わせる確率も増えた。
寝つきも悪くなり、吐き気は止まらない。
朝起きる度に眺める鏡は、もはや見るに値しないほどやつれていく。
最初は作り笑いを浮かべながら、学校にも通っていたが、
そのことさえも疲弊し、唯一のコミュニティである部活にも
参加することが難しくなっていた。
そして秋も終わりを迎え、冬へと向かう頃。俺は発狂した。
教室内で声のない喚き声をあげ、顔を上げることができない。
どこかで俺の苦しみに、誰かに気づいて欲しいと願うものの、
そんな異常な行動をしているやつの近くに近づくものなんていない。
求める現実とは逆行している。
教室に差し込む闇を放置し、なかったことにするべきだと言わんばかりに、
俺はこの場所で居場所を捨てたのだ。全て俺の責任で。
年末には学校に行くことも半分くらいになっていた。
高校は留年があるということも熟知はしていたが、
それ以上に足は動かない。
次第に苦しみにも慣れ始め、毎日がただの紙くずみたいになっていた。
一体どれだけの時間、他人と会話をしていないのだろうか。
一体どれだけの労力で日々を生きているのだろうか。
明確な数値が欲しい。何も指標がないから生きている価値すらも感じない。
そして、拍車をかけて家庭は揺らぐ。
父親の不倫。
一体何回目なのか。お前は人を傷つけることが特技なのか。
楽しい。嬉しい。
そんな感情はこの世に存在するのかさえ疑問を抱く。
全て消えてしまえ。俺も含めて、何もかも消えてしまえばいい。
なぜこんなにも恵まれないのだ。
何かをしようとすれば何かが邪魔をしてくる。
あらゆる災厄が降り注ぐ雨の中では、寒さも麻痺した、
生きる屍として、誰かが拾ってくれるのを無謀に期待するしかないのだ。
黄昏に咲く虚ろな青春。
黒く染まったこの瞳の先には、何も見えない。
人間には特別な能力がある。
何かを失えば別の何かに力が宿るようにできているらしい。
生きていることに価値を感じなくなり、
どうやって過ごしたらいいかわからない今、
どうやら一つだけ心から離れないものがあった。
それは耳に絡みつき、脳さえも病みつきにさせる。
鼓動にも似たそれは、何も考えなくてもいつも近くにあった。
音楽とは、幾つにも重なるハーモニーやメロディーに
その時代や書き手の感情をそのままストレートにぶつけた
何にも勝る優しさと、清々しい暴力によって構成されている。
中でも俺を虜にしたのはロックだった。
深く拍動を刻み、岩壁さえも破壊するような歪みを奏で、
何か苛立ちをも昇華させたような言葉をたった数分間の中に詰め込んでくる。
学校をサボりがちになった俺には唯一の希望になった。
既存の曲は絶対に裏切ることはない。
新しく世に生まれる音楽は、自分好みに選りすぐりできる。
人間は裏切るが、人間の外を出た音楽は裏切ることはできない。
元々、音楽好きの家系で、母親は自前のギターを持っていて、
父親の部屋には壁一面に敷き詰められたCDやレコードが飾ってあった。
ある意味で、この家族を支えている唯一の土台は音楽なのかもしれない。
俺は無理やり作り出した、一人の時間を使って家にあったギターを手に取った。
この瞬間が、今後数年の人生を決める予感がした。
俺はむやみやたらに、理論も概念もわからないまま、弦を叩き殴った。
錆びていたのか。数分間の不協和音に耐えられないまま弦は切れ、
俺の指先からも赤い痛みが流れ出ていた。
こんなにも難儀なものなのか。そしてこんなにも痛みを感じるのか。
今の心と何か似ている。
しかし、それだからこそ自分の痛みを表現できるのではないかと閃いた。
俺はそこから、カッコいいと思うアーティストの順番にCDを買うことにした。
彼らから表現方法を学び、自分にも何かできることはないか模索しよう。
インターネットで簡単なギターの理論や歌い方を学び、
全てを音楽に捧げることに決めた。
力任せにギターを弾けば、弦が切れる。音が割れる。
力任せに歌えば声が弾ける。
ああ痛い。ああ苦しい。けどこんなにも夢中になれるのは何故なのか。
明くる日も明くる日も音楽のことだけを考えるようになっていた。
そしてある日、一枚の新譜のCDを手にした。
それはDVD付きの限定版だった。
発売日当日は、なんとか仮病を使い、鑑賞することにしていた。
難なく学校を休み、メンタルの不調を体調に移し変えることによって
演技さえ凌駕する、顔色の悪さを作り出す。
両親が仕事に向かった後、すぐさまリビングに向かい、
DVDをセットした。
実際にプロのライブ映像やドキュメンタリーを
一つのアーティストに注目したことがなかったので、
高揚感を抱きつつも、懐疑的な感情もあった。
約2時間に及ぶ、彼らの生き様の断片。
手には汗が、目には涙が浮かんでいることに自分でも気がつかなった。
感動した。ただただ目の前で歌う、『彼』に感動した。
言葉には力が宿る。
そんなことは生まれてこのかた意識したことはなかった。
メロディーに乗せたそれは、ただ気分を高揚させたり、
落ち込んだ心を慰めるだけのものだと思っていた。
しかし、彼の言葉は違った。
一つ一つに魂が宿り、重ね合ったメロディーとひしめき合うように
俺の耳を通り越して、脳天に直接ぶつけてくる。
いや、心を揺さぶってくるのだ。
繊細かつ力強く選び抜かれた歌詞が、
聞いた人の価値観さえも変えてしまうほどの影響力。
しかし、本当の凄さは音楽だけではなかった。
歌手やアーティストはライブの合間にMCという、
余興のような雑談を組み込むことが多い。
そこで放たれた言葉。たった10数秒に込められた、
その言葉を耳にした瞬間、俺の選ぶべき人生が決まった。
「諦められへんことを、諦められへんっていう理由で、
諦めることさえも忘れた瞬間にだけ!
俺は、奇跡は起こると信じている。」
白昼夢。しかし、確かに感じた。
黒く染まっていたはずの俺の視界に、
一線の光が差した。朧げではあるけれど、確実に道を示していた。
気付いた時には、自分の曲を作り始めていた。
16年間やったことのない行動。
コードを重ね、メロディを載せる。
そして、頭の中にひしめきあう、過去の絶望やこれからの希望を
全て書き出し、夢中で紡いだ。
一体どれだけの時間没頭してたのかもわからない。
夜が終われば朝日は昇る。
そんな当たり前が久しぶりに俺に微笑んだのかもしれない。
学校をサボるということは部活にも出られないということになる。
すでにバスケへの想いは音楽に飲み込まれていた。
部活に顔を出さなくなって数ヶ月。
2年生に進級する直前に、誰にも告げぬまま、
退部の意思を顧問の先生に告げた。
事実を伝えられたバスケ部の仲間は驚きの表情を浮かべ、
責めたててくる先輩や同級生。
とても素晴らしい人たちだったけど、俺の人生は俺で作り上げるしかないんだ。
2年生へと進級しすぐさま、校内で唯一、
バンド活動を行なっていた部活に入部した。
自作の曲を作って演奏するバンドではなかったのだが、
それでも時間を有効活用して、自分を研鑽できると踏み、
このコピーバンドに入ることを決めた。
種を蒔けばいつかは花開く。
疑う余地も信じない理由も見つからない。
注ぐ水の量さえ間違えなければ、
どんなに険しくても、必ず道は開けるはずなんだ。
第一章、終わり。
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