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シビアな運命

前回書かせて頂きましたように、ハッピーバレー旗艦店での大型商談が成立し、その後、順調に推移するかと思われた香港であったが、まさかのシビアな運命に直面する。そう2022年2月からのオミクロン株の大流行である。それまで、香港はゼロコロナ政策に成功していたので、域外からの流入は少ないまでも、飲食店含めて経済自体はある程度稼働していた。ところが、真偽のほどは定かではないが、香港拠点の某エアラインの社員が航空関係者のみに許された緩めの隔離制限を悪用し、本来は禁止されていた外部の人間と会食をした結果、彼を起点として感染力の強いオミクロン株が一気に香港中に拡散したと言われている。

このエアライン社員ではありません(笑)

そこからの2ヶ月は本当にひどかった。日本人である僕は当然のことながら、入国ができないので、現地スタッフから聞く限りでの情報ではあるが、香港の街中から全くと言ってよいほど人がいなくなってしまったらしい。そして、その結果、monmayaのお店からもお客様が完全に消え去り、それと同時に売上も霧散した。新店舗がオープンしてたった2ヶ月での出来事である。好調な滑り出しを見せていた新店舗だけに、あまりにも過酷な現実をにわかには受け入れることができなかった。とは言え、時間だけは無情にも過ぎていき、百貨店内の店舗も含めて1円も売れない状態が約2ヶ月も続いた。2年前のコロナがはやり始めたころに、香港と上海どちらも1ヶ月間、全く売れないことはあったが、2ヶ月は流石にきつかった。特に、かなりの投資をした新店舗オープンから間もなく、しかも上り調子だっただけに精神的なダメージは相当だった。そのため、オミクロン発生から約1ヶ月が経った頃から、僕の様子がおかしくなり、丸2ヶ月に差し掛かろうとしていた頃には過去の思い出が走馬灯のように頭の中を巡り始めていた。
しかしながら、その頃には、香港の人々も徐々にコロナとの付き合い方に慣れ始めてきており、更には、オミクロン株の勢力もだいぶ弱まってきていたので、街中の人出も徐々にではあるが増え始めていたらしい。そして、少ないながらも見込み客も増え、オミクロン株の発生からちょうど丸2ヶ月が過ぎたあたりで、ようやくお久しぶりの売上に出会うことができた。しかも、それなりの数字だったので心から安堵した。本当にあとちょっとで、僕も完全におかしくなり、会社もどこかへ行ってしまうところだった。

コロナ前の香港

一方で、オミクロン株との共生は続き、その後も、数ヶ月おきに波がやってきては売上を奪っていった。特に、ダメージが大きかったのは、路面店ではなく、百貨店の店舗であった。と言うのも、百貨店内の店舗に関しては、以前書いたように、メインランドからのお客様も多かったため、香港内のお客様だけでは、そもそも、以前からの売上の減少分はカバーできておらず、その上、オミクロン株まで来てしまい、密閉空間と言うディスアドバンテージも相まって、最早とどめを刺されたに近いような状態になってしまっていた。そう考えると、かなりのリスクではあったが、路面店を出したのはタイミングはともあれ、英断だったのかもしれない。

プレオープン直前の1枚

路面店を出したことによって、monmayaとしての世界観の表現やお客様への提供価値は格段に上がった。そして、独自の空間を持てた事によってmonmayaとしてできることの幅が広がったので、せっかくなので、顧客グリップを高める為の新たな取り組みにも挑戦した。その一つが、以前からのロイヤルカスタマーを招いての路面店での日本茶と中国茶を取り入れたワークショップである。内容的には、日本の新茶の時期に合わせて、日本茶と中国茶双方に精通した日本人講師のレクチャー付きで、それぞれを通常様式と独自様式で楽しんでもらうと言った、お茶好きの香港人には、たまらない内容のものであった。その甲斐あってか、何かと制限のある中にも関わらず、たくさんのお客様が友人を連れて参加してくれた。そして、もちろん、意図的ではあるが、そのほとんどのお客様が、旗艦店への来店が初めての方ばかりで、monmayaとしては最高のPRの場となった。

初めてのワークショップ後の参加者との1枚

これに味をしめて、次なるイベントの開催を計画したが、コロナの状況もあり結果的に第2回のワークショップは約半年後の11月下旬となった。流石にその頃になると隔離もなくなり、諸々落ち着きを取り戻し始め、いよいよ正常化へ向けてのカウントダウンが始まっている気配が感じられた。そして、気が付けば12月、コロナに振り回されながらも路面店がオープンして1年が経っていた。その間に、事業再構築支援補助金も無事に採択され少しづつではあるが色々な歯車がかみ合い始めてもいた。年が明け2023年2月、香港入境の際のすべての規制が撤廃された。苦節3年待ちに待ったこの時がついに来たと当初は喜んでいたが、一方で香港人や中国人にとっても同じことで、うちの顧客の富裕層の多くは皆、喜び勇んで、大好きな日本へと旅立ってしまった(笑)

と言う事で、まだもう少しだけ、門間屋の苦闘は続くのであった。

次回は、現在、絶賛強化中のシンガポールとの出会いとその後について書かせて頂きます。

例のやつです(笑)

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