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まさかの香港あるある

前回、書かせて頂きましたように、新店舗のオープンに合わせて僕も香港入りする計画を立てていた。と言うのも、この頃には、香港人でなくてもホテル隔離を経れば香港へ入国することができたからである。しかしながら、諸外国のコロナの状況によっては、突然、香港政府の方針が変わることもあるため、ギリギリまで予断を許さない状況でもあり、ヒヤヒヤではあったが、10月下旬に無事に香港への入国が完了した。そして、2週間のホテル隔離がスタートした。

隔離用の酒とつまみ達

隔離期間中は、日中は普通に仕事をして、夜は当時流行りのオンライン飲み会をしてみたり、酒を飲みながら動画を観たりと淡々と過ごしていた。隔離に備えて、大量の酒とつまみを持参したのが奏功した。ところが、途中飲みすぎたのか、このままでは隔離終了を待たずして酒が終了と言う、よもやの状況に差し掛かりかけたが、香港の兄貴ことデザイナーのM氏が酒を差し入れてくれて事なきを得た。そして、11月7日に無事に隔離が終了し、出所直後に快晴の空の下、一気に流し込んだビールは、今までの人生の中でも数本の指に入るくらいに美味かった。ちなみに、K君も同じタイミングで隔離を終了したが、前回同様廃人のようになっていた。

一気にここまで飲んじゃいました

そして、早速、新店舗に向かった。僕的には初対面である。しかしながら、この時すでに事件は起こっていたのである。そして、僕も隔離中にその事実を知らされており、激しくショックを受けたがどうにも、しようがなかったので、酒と共に飲みこんでいた。それもあり、隔離中の酒量が増えたのかもしれないが(笑)
その事実とは、工事の遅延に伴うオープン日の延期であった。星周りの良い日でと決めた11月12日(金)のオープンが完全に不可能な状態となっていたのである。ある程度、余裕を持ったスケジュールで進めており、むしろ、星周りに合わせて少し遅らせたくらいであったにも関わらずである。もはや何のために、星周りまで視てもらったのかと言う状態であった。こんなことなら、星周りなんかは無視して一日でも早くと言っておけばよかったと隔離中にストレートのウイスキーを飲みながら一人涙したのであった。理由としては、中国本土からの建築資材の納品遅れが原因ではあったが、周りの人の話を聞く限りは、それ以上に「香港あるある」が原因ではないかと思っていた。つまりは、余裕があると思うと、それに乗じて作業が緩やかになり、納期が更に遅れるというだらしない子供みたいなことが香港ではよく発生するようであった。そして、今回はそれに輪をかけて、コロナ起因による建築資材の納品遅れもあり、結果的に何と2週間遅れとなることが先述のように隔離終了時点で既に判明していた。

パッと見は素人

しかしながら、一歩間違えれば更に遅れる可能性もはらんでいるのではないかと思い、何はともあれ、一刻も早く現場に行ってだらしない子供達にプレッシャーをかける必要があった。行ってみて解ったことは、案の定と言えば案の定ではあるが、まったくもって緊張感のない緩やかな現場であった。パッと見素人のような、ジーンズにヨレヨレのTシャツを着たおっさん3人が焦ることなく楽しそうに作業に勤しんでいた(笑)この調子では、確実に更なる遅延が見込まれると思いプレッシャーをかけるだけではなく、何か作業として手伝えることがあれば手伝ってしまおうと思い、内装材として使う古民家の建具の清掃等の軽作業に取り掛かった。

自ら参戦

その後は、辛うじて予定通りに進行し、11月27日の関係者を招いたソフトオープンを無事に迎えることができた時は心から安堵した。レイアウトの調整やオペレーションの確認、そして、その他の手続き関係等もあり、グランドオープンは、約1週間後の12月3日とした。その間は、何かとバタバタしていたがそんな折に、まさかの不幸の手紙が届いてしまった。事業再構築支援「不採択」のお知らせであった。まさかの事態に顔面蒼白で気を失いそうになった。と言うのも、この補助金に関しては、既に一度不採択になっており、2回目の応募だったので、かなり気合を入れて書類作成もしており、内容的にもかなりの自信があった上に、既に色々と多額の支払いも発生していたからであった。つまりは、背後からものすごい勢いで敵が迫ってきているにも関わらず、燃料切れのため前にも進めなくなる可能性が発生してしまったのである。今日明日すぐにどうなると言う事ではないが、相当厳しい状況下に叩き落されたことは間違いなかった。ただ、幸いなことに事業再構築支援補助金は再度の応募ができる物であったので、一旦折れた心にギプスをはめて書類の見直しに取り掛かることにした。

ソフトオープン当日

僕の沈んだ気持ちとは裏腹に時間だけは軽快に過ぎていき、運命の12月3日のグランドオープンを迎えた。とは言っても、既にソフトオープン時にレセプションは実施していたので、特に何かイベントがあるわけではなく、ご案内を送ったお客様がチラホラとやってくる程度で、ある意味、想定通りの無難な滑り出しであった。その後の数日もお天気にも恵まれ、お客様の入りや反応も上々で、今後に期待が持てる状況が続いた。そして、この状況が僕の沈んだ心を少しづつ浮上させてくれ、12月8日の帰国時にはむしろ、「不採択」のお知らせを受け取る前よりも前向きな気持ちになっていた。12月8日、午前の便で帰国しお昼過ぎくらいに成田に着いた。到着後は、PCR検査を受けて、その後、空港付近の日本政府指定のホテルで3日間の隔離となっていたため、PCR検査の結果と移送先のホテルのお知らせを待った。PCR検査の結果は2時間も待たずにあり、当時ゼロコロナの香港からの帰国なので、当然「陰性」であった。ところが、移送先のホテルのお知らせが待てど暮らせど来ず、気が付けば更に数時間が経とうとしていた。そして、その後、またしても事件が起こった。小さな事件ではあるが、完全に想定外の出来事だったので、ある意味、ここ数週間で一番の驚きでもあった。
続きは次回以降で書かせて頂きます

ソフトオープン時のレセプションにて


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