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森茉莉とオリンピック

パリオリンピックが近づき、メディアも色々と騒がしくなりはじめた。オリンピックの直前になると、目標はメダル何個とか、誰それがメダル最有力候補…といった報道も目立つが、森茉莉のスポーツに対する見解を紹介したい。

『世間で褒め称えられるのは根性をもつ人間である。東京オリンピックの大松精神の如きものを持つ人間である、という通念がある。(中略)日本の選手たちが競技する場合、鉢巻をし、体中の筋肉がコリコリになったようになって遣り、優勝すると抱き合って泣き、負ければ口惜し涙にむせぶ…(中略)。新聞には打倒何々というような、殺伐な言葉が目白押しに並ぶ。他の国ではゲエムであり、日本では試合である。外国の選手達は勝っても負けても、子供の遊びのように、にこにことしている。』(ベスト・オブ・ドッキリチャンネルより)

これが書かれた1984年は昭和の終わり。平成も過ぎ去り、令和に突入して、スポーツ界も(種目にもよるが)昔にくらべ多少さっぱりしてきたなと思いつつも、当時とあまり変わっていない面もまだまだあるなと思ったり…。

勝負に勝ったり、記録を破ったり、自己に打ち勝ったりというのは、選手にとって目標やモチベーションになり、それがいい結果につながる場合もあるが、過度な欲や外野の期待が行き過ぎるとプレッシャーが変な風に働いて、力が出しきれない時もある。よくオリンピックには魔物がいると言われるが、ちょっとした心理的なゆらぎが招く番狂わせが多いように思う。

「それに打ち勝ってこそ真のアスリートだ」という考え方もあるが、打ち勝つべきは選手一人一人がもつ限界であって、他人が必要以上にかける期待や重圧はまた別の話だと思う。

茉莉も言うようにオリンピックなど、スポーツは『ゲエム』なのだ。才能ある選手が四年に一度立つ晴れ舞台。テレビでの一観戦者である私は、勝ち負けもメダルにもあまり興味がなく、全力を出し切った選手のすがすがしい顔を見たいと思っている。あまり気負わず楽しんでほしいと思う。


ところで茉莉とオリンピックといえば、三島由紀夫に関するこんな記述がある。

『三島由紀夫は、オリンピックの時にはあの、聖火を走って日本まで持って来る嫩者(わかもの)の役を遣りたくて仕方がなかったのである。或オリンピックの日、彼は加藤芳郎と一緒に、入場したが、遠眼鏡を東郷平八郎元帥のように首にかけて、威風堂々としていた。彼は目立つのが好きであった。文学者として文壇で、十二分に目立っていたのだが、もっともっと、目立ちたいのであった。』(ベスト・オブ・ドッキリチャンネルより)

これも80年代に書かれた文章でことの真偽は分からないが、読んだ瞬間、日本選手団のような赤いジャケットを着て、周囲の視線をビンビンに意識する三島由紀夫の姿が浮かびあがってきて、吹き出してしまった。
「遠眼鏡」「元帥」「威風堂々」といった戦時を彷彿とさせるパワーワードを並べたてるあたり、茉莉の三島への悪意と茶目っ気を感じる。

作家としてのデビューが遅かった茉莉は文壇の先輩である三島由紀夫に目をかけてもらっていたらしいが、年齢差は母と息子ほどあった。それで茉莉は「文章はすばらしいのに…」としながらも、強すぎる自己顕示欲でもって度々メディアに登場する三島を茶化するような文章を、度々書いているのだった。三島の方には、鷗外先生の御令嬢に頭が上がらないというのがあったのかなかったのか。それでも、茉莉の書いた彼への愛あるディスりに対し、寄稿文の中で応戦したりと、案外楽しんでいたようなところも見受けられる。


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