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日本の公鋳貨幣

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日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。
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2021年4月の記事一覧

日本の公鋳貨幣番外編2「紙幣の始まり」

日本の公鋳貨幣番外編2「紙幣の始まり」

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平安時代に誕生した紙を使った支払い法2024年に本邦の紙幣が刷新されます。ところで日本の紙幣はいつごろから誕生したかご存知でしょうか。実は、紙幣の原型と言えるものは、皇朝十二銭が下火になり始める平安時代中期ごろから使われ始めているのです。

皇朝十二銭は、使えなくなっても地金(金属)として売る事ができるから辛うじて普及させることができました。が、紙幣はそうもいきません。当時、紙は確

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日本の公鋳貨幣 番外編1「米」「布」「砂金」

日本の公鋳貨幣 番外編1「米」「布」「砂金」

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庶民の決済手段に東西差を生んだ律令政府朝廷が発行した皇朝十二銭の最大の特徴は、国家の支払い手段としての意義を第一に考えており、民間人の間で用いる事をあまりにも軽視していたことです。この朝廷の意識が、度重なるデノミや貨幣の品質の劣化につながっていくのです。

貨幣が民間での支払い手段として、畿内を除くほとんどの地域で機能しなかった以上、7世紀からの国内の民間人は、朝廷が成立する以前か

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日本の公鋳貨幣12「乾元大宝」

日本の公鋳貨幣12「乾元大宝」

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発行当初から全く使用されなかった貨幣いよいよ、奈良〜平安時代に朝廷が発行した最後の貨幣「乾元大宝」の紹介にまでたどり着きました。『日本紀略』に、村上天皇の御代である天徳2(958)年、3月25日の条

『改銭貨文延喜通宝為乾元大宝』

という一文があります。訳すなら『貨幣の文言「延喜通宝」を改めて、「乾元大宝」にしたよ』というところでしょうか。発行事由に関する明文は書かれておらず、

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日本の公鋳貨幣11「延喜通宝」

日本の公鋳貨幣11「延喜通宝」

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善政の手本とされた「延喜の治」の実態をひも解く「寛平大宝」発行の17年後の延喜7(907)年11月、

「前銭改鋳」

の詔が出ました。「前銭」とは「寛平大宝」のことであり、これを改めろという詔でした。

『日本紀略』に延喜7年11月3日く

「詔、改寛平大宝銭貨、為延喜通宝、一以当旧之十、新与旧並令通用之」

とあり、旧来のように新銭1:旧銭10で通用させようとしていたようです。

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日本の公鋳貨幣10「寛平大宝」

日本の公鋳貨幣10「寛平大宝」

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今回紹介するのは皇朝十二銭の十番目、「寛平大宝」です。が、実はこの貨幣について書く事はほぼありません。というのも、国書に記録がほとんどないからです。本貨についての記録は『日本紀略』の寛平2(890)年4月27日の記録にある「改銭貨曰寛平大宝」8文字が全てなのです。

『日本紀略』という書物についてはその成立過程や編纂者がよくわかっておらず謎の書物なのですが、平安時代に成立しているこ

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日本の公鋳貨幣9「饒益神宝」「貞観永宝」

日本の公鋳貨幣9「饒益神宝」「貞観永宝」

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仕事の忙しさにかまけてここを長い事放置しすぎました。久々に記事を更新します。これからは必ず週に一本は更新するようにします……。すみません。

というか、こっちも実名で登録してしまえば、自分の仕事の分を宣伝できるんだよなあ。……でも宣伝費をくれないしなあ。

今回は、皇朝十二銭紹介の八枚目の「饒益神宝」と九枚目「貞観永宝」をまとめて紹介します。

↑饒益神宝

↑貞観永宝

しかし、

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