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日本の公鋳貨幣9「饒益神宝」「貞観永宝」

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仕事の忙しさにかまけてここを長い事放置しすぎました。久々に記事を更新します。これからは必ず週に一本は更新するようにします……。すみません。

というか、こっちも実名で登録してしまえば、自分の仕事の分を宣伝できるんだよなあ。……でも宣伝費をくれないしなあ。

今回は、皇朝十二銭紹介の八枚目の「饒益神宝」と九枚目「貞観永宝」をまとめて紹介します。

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↑饒益神宝

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↑貞観永宝

しかし、皇朝十二銭の八枚目である長年大宝のWikipediaがわずか三行しかなかったのに対し「饒益神宝」のWikiは割と情報量が多いですね。それでも日本のお金のことなのに、やはり短過ぎるとは思いますが。

本貨幣についての記録は六国史の最後にあたる『日本三代実録』に記載されています。長年大宝を発行してから11年後の貞観元(859)年4月、新銭発行の詔が清和天皇から発せられたそうです。発行に際しては、新銭1に対して旧銭10にしろといういつもの価格設定がなされています。

本貨が特殊なのは、発行理由で朝廷が「旧銭であるい長年大宝の価格価値の低下が甚だしいので新銭を発行する」と認めていることです。それまでの銭が「劣化したから」「私鋳銭が増えすぎているから」など外的な要因に改鋳の理由を桃求めていたのに対し、朝廷自身が自らの経済政策ミスを認めているのです。

もっとも、当時、経済政策という考えがあったかは、分かりませんが……。

なお、本貨幣に記された「饒益」という聞き慣れない単語に関しては、「饒益」を「ジョウエキ」と読めば物が豊かなことを現し、「ニョウヤク」と読めば仏教語で物を与えることを意味します。ちなみに、「ジョウエキ」読みをして「豊か」「富裕」の意味で用いるのは中国語で、日本語ではあまり一般的ではありません。

この貨幣の発行から11年後、貞観12(870)年1月、今度は貞観永宝を追鋳する詔が出されています。

この時の発行理由は「政府は政治が簡素なことを希望するので、銭貨の改鋳をあまり行いたくないが、世の中の人は銭貨を退蔵して使用していないので貨幣が流通していない。だから今回改めて貞観永宝を発行してまた新旧銭1:10で通用させるよ」とついに貨幣が流通しない理由を国民のせいにしはじめています。

この貨幣の改鋳と、突然言い訳がましい理由をつけ始めたのには、とある理が考えられています。それが、藤原氏の勢力伸長です。

奈良時代から天皇家との結びつきを強めていった藤原一族ですが、天安元(857)年、藤原北家の良房が、人臣として初めて太政大臣に就任すると、他氏排斥がはじまりました。良房はその2年後の天安2/貞観元(859)年に、天皇大権まで掌握し、事実上の詔勅の発出主体となっています。

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↑藤原良房

つまり、本貨幣の発行を命じた詔を実際に出したのは藤原良房だったはずなのです。実際、「饒益神宝」の発行の詔が発布される直前の3月22日に、周防守であった藤原北家の藤原直道が鋳銭長官(造幣長官)に任じられており、藤原家の一存で貨幣の発行ができるようになっています。

これらのことから、この二枚の銅銭は、藤原北家が朝廷内で権力を掌握する過程での財政補填のために発行されたと考えられています。国書に掲載される発行理由が、突然定型文から外れすこし具体的になるのも、政権が交代しそれまでのルールが変更されたからでしょう。

両銭とも、形状も銭質も極めて劣悪ですが、これは必ずしも藤原北家が素材費をケチっていたからというわけではありません。この時代になると、日本の技術ではこれ以上深い位置に眠る銅を採掘する事ができなくなっていました。そのため鋳銭司まで送られる銅の量が、不足しているのです。

このことは当時の鋳銭司の記録にも残っており、悪質な銭ですら、中央政府の求める量を納入できておりませんでした。当時、銭を中央へ納入できず焦っていた鋳銭司の様子を記した記録もあります。鋳銭司のあった周防・長門では、産銅はすべて鋳銭司へと納めることになっていました。とはいえ目の前に銅があれば庶民のなかには少しだけ拝借して匙や食器など雑器をつくっていた人もいます。もちろん、それを取り締まった所で銅不足に対して焼け石に水という話なのですが、鋳銭司はそのような人まで取り締まって銅を集めているのです。

貞観通宝の発行に際し、朝廷は、世の人びとが銭を貯め込んでいて流通を阻害しているとその責任を国民になすり付けていますが、そもそも政府が必要数を国民に対して配りきれていなかった可能性の方が高いのです。

その証拠にこの両貨は、日本で出土する皇朝十二銭のなかでも、特に出土数が少ないです。饒益神宝に関しては、公式記録で約1万2,000枚出土している皇朝十二銭のなかで、76枚しか出土記録がありません。この数字は、畑を耕したら見つけたので神棚に飾ってます、みたいな感じで個人が所蔵しているものは含まれておりませんが、とはいえ少ない事に間違いはなく、古銭屋などでは一枚200万円近くで売っています…。


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