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周囲でも他の誰かでもない【自分】という感覚を辿りながら生きることの大切さ

わからない
生き方 息の仕方が わからなくなる
理由? それもわからない
私がこの世に生まれ
こうして存在していることは
一体何のためだろう
ずっと 中学時代から
 そんな考えが ぐるぐるしていた。


周囲の人達 友達 大人達は みんな
他愛もない会話を楽しみ 一喜一憂しては
共に泣きあったり 喜びあったりしている

 目に映る世界 耳に入って来る声や音
情報は溢れすぎていて
何より理解が追いつかない

遅れて 遅れて 辿っていっても
やっと それに追いついた頃には
みんなは既に 随分先を行っている

「こういう意味だったんだよね?」
「そっかなるほど」 と
誰かと共有することも暇もなく
色々なもの 感覚的なものが まだ
自分一人では 処理も 確認もできないまま
じっくり噛みしめ
実感していくことが できなかった

視界に入る全ての情報に加え
同時進行で 変則的に飛び込んで来る
みんなのやり取り

声の大きさ ジェスチャー 表情
個性  目と耳で全力で処理しながら
遅れて 聞こえてきた言葉を
思い起こしながら意味を辿る

頭の中に次々と浮かんで来る
色んな種類の疑問達と闘いながら
常に ひたすらに 思考の網をかき分け
毎日 毎分 毎秒の世界で
延々と 頭の中で 多分 必死で
答え合わせをしていた

そして それが
果たして正解なのかも
全部が全部 わからないままに。


家の庭の自分の部屋のドアから出て
砂利石の上に座り込み 壁にもたれ
物干し竿越しに空を眺めながら
風や木の葉の擦り合う音
時おり聞こえる鳥のさえずりを聞くのが
何よりの癒しになっていた

人の中に居て 自分の主張をすると
話のズレの為に
不快や不満を起こしてしまう

聴き流せない 見過ごせない
処理しきれないものが多すぎて
いつの間にか 守ることを辞め
主張も 問い掛けも 辞めた

ぶつかってしまった時には
ひたすら 自分の中に原因を探し
謝り 繰り返さぬよう
より神経を張り巡らすのに必死だった
できるわけもないのに


恋愛も 受け身の自分でいた

触れることすら 処理が追いつかなくて
スムーズな感情表現が叶わず
非難されることもあった

どうしていいか分からずに
ただひたすら泣いていた

消えてしまいたいと
漠然と思うことは 常だった


誰もいない場所に行き
誰にも迷惑のかからないままで
消えてしまう事ができたらいいのに

 なぜか "死ぬ"という事は
いつもずっと隣り合わせだった

でも

「きっとそれは
 こうして生を授かった以上
 きっと自ら選んではならぬこと」

漠然と それも常にセットだったから
どうにもなれない自分が
とにかく とにかく しんどくて
定期的に 1人 爆発し
こっそり泣いていた



自分自身を 何よりまず実感しなくちゃ

 「そんな当たり前のこと」 とせず
言葉にして 表現を受けることで
気付き 知ることができるかもしれない

「うれしいね」
「かなしいね」
「いやだったね」
「そうだったんだね」

たったその一言で

「うん、そうなの」 と
そう 感じる自分を
少しは 許してあげられるかもしれない

あたり前のことかもしれない

でも とても必要とする人もいる

救われる人がいる。


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