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むすめ と わたし 時々じじ

あらゆる物事が 自分の解釈が 合っているかどうか
多分 人2倍、いや 10倍ほどの勢いで 不安になる私。

ズレていたり 全く違っている事で
叱られ 責められた経験も トラウマの1つなのかもしれない。
不快や 不和を生まない為に 自分にできる工夫として
"確認する"
これが1番の近道になってくれる。

「ごめんね 確認したいだけなんだ。
 私は 分からなくなると 不安で 動けなくなってしまう。
 そうor違う が聞けたら
 "そっか"と分かり
 じゃぁこうしようかな と 次に進める。
 何でもいい ひと言 返事が聞けたら
 それだけで 安心できるみたい。」

娘には 繰り返し 伝え続けて来た。

こんな事を 娘に説明する母親
スルーできず 気にする私
なんてダメ母だ こんな私は本来いない方がいい。
でも 娘がいる
私は 娘の母親であり
私は 私以外には なれない と
都度 何ちゃら合戦のように脳内で闘う。

そんな私をよそに 娘は 日々
発見を重ねながら コツコツと 成長をしている。

段々と 自分以外の人の気持ちや やり取りに
興味を寄せ 浮かんだ疑問を語り
私 (母) 目線の答えを尋ね 聞き
照らし合わせつつ 自分の考えや 解釈を 語るように。

娘の中の 一大事的な 想いを 私に打ち明けてくれた時は
やり取りを終えた後はいつも 素直に私の感想を伝える。 

「あなたは すごい。
 私は小さい頃 自分の頭や心のことを
 なかなか言葉で 話せなかった。
 そうして色んな思いを 言葉で聞かせてくれるから
 私も色んな事が分かるようになった。
 聞けなかったら知らずにいた事だらけ。
 話せるって すごいことだよ。
 聞かせてくれて ありがとう。」 

すると娘がこう言う。

「ううん 私だけがすごいんじゃなくて
 多分お母さんもすごいんだと思うよ。
 だって ちゃぁんと聞いてくれるし
 大丈夫って言ってくれて
 安心したり ケンカみたくなっても
 最後はかならず
 "〇〇はそう思ったんだよね"
 "ごめんね"
 "よしよし" って言ってくれて
 だから 私だってきっと
 安心して 話せるようになってるんだよ。
 だから
 お母さんが 私をすごいと思うのと 同じように
 お母さんも すごいの。」


まるで鏡合わせのように
ド派手に大声で言い合いもする中
不思議な褒め合いも入りつつ
親子でセットで成長していっている。

むしろ私の方が まだまだ 子どものままだった面だらけで
娘が それに気づかせてくれる不思議。

言葉は鏡
親子も鏡?
いや、見えている世界が鏡なのかも…
なんて考えている 最近…。


おわり


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