見出し画像

またスマホ見てる (月曜日の図書館201)

スマホが重い。ズボンのポケットに入れると、重さでだんだんずり下がってパンツが見えかねないので、仕事中は持ち歩いていない。

ところが観察してみると、職場のかなりの人々が持ち歩いている。この前もK氏がスマホに届いた家族の急病の知らせに即反応して早退していた。わたしだったら全く気づかず、のんきに終業時間まで本の貸出返却をしていることだろう。

みんなどこに携帯しているのか、というとやはりズボンのポケットである。が、見たところ誰も左右どちらかに傾いたり、パンツが見えたりはしていない。

一体どうなっているのだろう。

しかもほとんどの人が、わたしより新しい、レンズがうようよついた機種を使っている。さまざまな機能を上乗せされ、まるで通話できる鈍器だともっぱらの噂だ。

ゾロが刀3本を腰に差して歩いても平気なように、みんなも体幹を恐ろしく鍛えているのだろうか。

確かにスマホは手元にあった方が便利だ。たとえば図書館のホームページの使い方を説明するとき、パソコンとスマホでは見え方が違う。自分のスマホで実際に操作して見せた方が、相手に伝わりやすい。

あるいは外国人に利用案内をするとき。最近は英語をしゃべらない人も珍しくないから、そういう場合は翻訳機能を使って相手の母語で説明するとスムーズだ。

仕事に私物を使うのは若干違和感もあるが、公用のスマホが支給される未来なんて、レンズの数が二桁になっても来ないだろう。私用と公用、それぞれを左右のポケットに入れれば、均衡は保ちやすくなるとは思うけれど。

スマホを肌身から離すのは危ない、と言われたこともある。薄い仕切りがあるとはいえ、事務室には外から入ろうと思えば誰でも入れる。おまけに全員出払って、空っぽになる時間も多い。

掃除のおばちゃんからは、内部の犯行だってありえるんだから、中に人がたくさんいたって油断しちゃいけない、と注意された。うーん、でもわたしよりみんなのスマホの方がずっと多機能で高性能だぞ。

スマホの中に保存している写真や日記を見られても、恥ずかしいのはわたしだけで、他人にとってはきっとどうでもいい内容ばかり、さらされてもすぐに忘れられるだろう。データを壊されたら、あーあって思うけど、わずかに覚えている思い出を胸に、ほぼまっさらな気持ちで明日から生きていけばいい。

形あるものもないものも、いつかは壊れる。

代わりにスマートウォッチを身につける、という選択肢はない。本の中には磁気が入っていて、正式な手続きをして貸し出される場合だけ、専用の機械に通して磁気を抜くようにしている。その機械に腕時計を近づけると、だんだん時間が狂うのだ。

ふつうの腕時計でさえそうなのだから、繊細なスマートウォッチなら一度で簡単に昇天するだろう。そんな怖い機械のそばにいて人体に影響はないのだろうか、とみんななんとなく思っているが、今のところさしたる被害もなければ、具体的な対策も取られていない。

スマホ本体からも有害な電磁波が発生していると考える人たちは一定数いて、その危険を訴える本はとても人気だ。どんどん借りられる。

いわゆるトンデモ本の類で、内容に根拠はなさそうだ。ペースメーカーを使用している人など、本当に気をつけた方がいい人たちもいるが、本に書かれている「危険」は意味合いが違う。

もし信者たちの言うとおりなら、今ごろわたしたちはみんなゾンビになって、闇の権力者に操られていなければならない。もっとも、どこにいても何をしていても画面から目を上げない人たちを見ると、すでに操られているようにも見える。

仕事中くらい、スマホと距離を置いて、見えない糸を断ち切りたい、というのも携帯しない理由のひとつだ。

*お知らせ*

いつも読んでくださる方、ありがとうございます。朝日新聞の地方版で、本の虫というリレーエッセイを担当させていただくことになりました。数ヶ月に一度、順番が回ってきます。
読んでみたい、という稀有な方がいらっしゃいましたら、近くの図書館のデータベース(朝日新聞クロスサーチ)で検索してみてください。
よろしくおねがいします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?