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月曜日の図書館 生まれ持ったからまり

本を読んでいると、あるー点だけ視界がぼやける。真正面より、やや左寄りの場所。その点に視界を合わせようとすると、なぜかどんどん移動してしまう。ふわふわと捉えどころがない。直視できないので正体もわからない。お前は一体いつからそこにいるのか。

念のため眼科に行く。大病だったらどうしようと思っていたが、診察を終えた医師は問題ないと言った。眼球の中に繊維がからまっている部分があり、そこだけ光を通さないのでぼやけて見える。薬などで消し去ることはできないが、これ以上大きくなるわけでもないので、今後も上手く付き合っていくしかない。

あなたが生まれ持ったからまりなのよ、と医師は言った。

ホームページを何回も確認して行ったにも関わらず、開院の30分も前に勘違いして入ってしまった。受付の人たちは別に嫌がるでもなく、あと30分したら開くからソファで待っててねとわたしに言い、準備をしながら今日は寒いねとか誰かの悪口とかを明るく言い合ったりしている。スイッチを入れたての空気清浄機がずーっ、ずーっと音を立てる。

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眼科の待ち時間を何でつぶすかは悩ましい問題だ。スマートホンを見ていたら「そうやって酷使するから悪くなるんだよ」と咎められるような気がして何となく気が引ける。かと言って目を使わない待ち方といったら、めい想か、虚無の表情で宙を見るくらいしかない。別の病気を疑われそうである。

あれこれ悩んだ末、本を読むという選択に落ち着いた。目を使うにしても、ブルーライトにさらされない昔ながらの紙の方がやさしいであろうという苦しまぎれの言い訳をしても別に誰も聞いていないし気にしていない。

右から左へ。一行ずつ読み進めるごとに、ふわふわのもやも左にずれていく。見ようとすると逃げる。つかずばなれずの距離にそっと寄り添っている。

生まれ持ったからまり。人見知りのおばけみたいな存在だ。

お正月にはいっぱい本を読もうと意気込むが、たいていは半分も読めない。もっと本を読む時間がほしい。本を読むのが仕事だったらいいのにと思うが、よく考えたらすでにそういう仕事に就いているのだった。

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仕事納めの日は、かけこみでお客さんが殺到する。書庫出納、カードを作りたい、複写申請、本を予約したい、検索機からレシートが出ない、Free Wi-Fiにつながらない、Wi-Fiってどういう意味なのか知りたい。

押し寄せた人々の要望はどれもばらばらで、それらがわっと打ち寄せ、混ざり合ってこんぐらがる。その渦中、とにかく個人情報だけは正しく保管せねばと、登録申込書に意識のかなりの部分を集中させる。

聖徳太子だって今日のカウンターにしたら、さすがに全部はさばききれないのではないだろうか。書庫まで何往復もしながらカードを作り、利用案内し、予約入力し、インターネット用語辞典を案内する。フリーズしたかに思われた検索機は、単にレシートが切れていたらしく、新しい口ールをセットした途端、それまで命令をかけられていた無数の書誌情報が吐き出されはじめた。

ジー。ジー。ジー。ジー。果てしないつらなり。わたしもお客さんも棒立ちになって、ただただ積み重なっていく紙の山を見ていた。

へとへとになって退社準備をしなかがら、すべてをきれいにほどくことはできないのだ、と思った。押し寄せる要望ひとつひとつを頭の中で振り返りなから、Wi-Fiがつながらないと言ってきた人にとうとう対応しそびれていたことに気づいた。その人をスキップしてWi-Fiの意味に飛んでしまっていた。あの後どうしたのだろう。自力でつながることができただろうか。

すべてのからまりをほぐすことはできない。左端にふわふわ浮かんでいるものを抱えながら、生きていくしかない。

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カウンターのパソコンの電源を落とそうとしたら、こちらで操作している内容が、お客さん向けのモニターに映し出される設定になってしまっていたことが判明した。

焦って「わいふぁい 意味 本」などという頭の悪い検索をしていたことが、全世界に公開されていたのだった。

vol.105

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