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毎日続けるためには、毎日続けるしかない

結局、毎日書いている。

毎日更新を始めてから、1年と100日が経ってしまった。経ってしまったと言ったのは、もともとゴールなく始めてしまったことと、こんなにも続くとは思ってもいなかったからだ。

どうしたら続けられるか、それは書いて投稿することを毎日続けることだと思う。そんなの当たり前だと思うかも知れないけれど、これが結構面倒くさい。面倒くさいことを続けるには、面倒くさいと判断できなくなるくらいに、習慣化してしまうことだと思う。

常体の文体なのは、ただ書きやすいだけなので、偉そうにする意図は少しもない。この断りすら、偉そうで怖いけど。最近、noteを始めて数日くらいの方からのフォローが増えている気がするので、つい僕のことを話したくなって書いた。

投稿がすべて

いや、まずは書くことがはじまりではないのか、という疑問もあるかも知れないが、僕は違うと思っている。

僕は、noteのテキスト記事の“投稿”を朝にすることが多い。それは、僕の得意とする時間であり、家事や子どもたちの“邪魔”が入りにくい時間だと思っているから。

読まれるためには・・という話は横に置いておいて、まずは同じような時間帯に投稿することは、投稿したかどうかを判断する助けになる。

個人的には、その日という時間がまだ長く残っている「朝」が安心する。夜の投稿はうっかり寝落ちして途切れることが、読み手としての経験上あまりにも多いからだ。

投稿するためには事前に記事を書いておく必要があるが、僕は前日までに幾ばくかの文章は書いておくようにしており、だいたいはあとは投稿するだけ、になっている。

とはいえ、僕も週末には下書きが無くなって、その日の思いつきで記事を書くことが増えてきている。投稿の時間はズレるから、いつも読んでいただく方々には見つけてもらえないこともある。

ハッシュタグは、投稿するときに設定するだけではなく、文章に書き込んでおくとラクだ。投稿設定の画面で打ち込まなくていいのはお得だけど、お題やコンテストへの参加の場合には、きちんと確認しないと、そっくりなタグ付けになるだけだ。

特に、漢字と仮名は注意すべきだと思う。

「noteのつづけ方」がお題で、
「noteの続けかた」はお題ではない。みたいに。

書くのはいつでもどこでも

書くことは、隙間時間ですすめている印象が強い。基本はスマホ、チャンスがあればパソコン。そんな感じだ。

僕の場合は、あまり考えずに書き始めて、どんどん記憶や頭の中から紡いでいく感じなのだ。だから、始めに意識していた内容から外れることがある。というより、予定通りに書けることの方が少ない。

とはいえ、いつでもどこでも書きたいけれど、だいたいは通勤電車の中で、ゲームをしているかのごとく、指を動かし続けている。

書くときには、せっかくだから見た目を気にすると推敲の手間が減る。見た目とは、読み手の感覚である。

小学校の頃、作文の書き方で習ったことといえば、なるべく漢字を使うであったように、漢字を使いこなせると、とても頭の良さそうな印象がある。事実、そうかも知れないが、こと文章を読む相手は、さまざまである。

もちろん、この投稿を読んでいるあなたが頭が悪いと言っているのではない。

読めない漢字があるということではなくて、読みやすい字面にすることは、読み手への配慮だと思うのだ。

書き言葉と話し言葉、全然違う。

書き言葉と話しことば、ぜんぜん違う。

僕自身も、まだまだできていないこともあるし、読みやすさのために修正することも少ないのが現状。これからも精進したい。

犬も歩けば棒にあたる

僕はジャンルといえばエッセイだが、テーマはほぼない。怒りや悲しみを書かないようにしているだけで、基本的には日々の暮らしの中で見つけたこと、記憶に残る景色のことを書いている。

キッシュのレシピを書いたときもあるし、家族の新たな船出のことを書いたこともある。毎週のように、旅の記憶と、読んだ本のことを書いている。

書くことは、見つけるものかというと、僕はそうではないと思っている。探しにいくというよりは、気づくものというイメージが強い。

でも、確実に書くことを得るとしたら、動くことが効果的だと思う。動くとは、変化であり思考であると僕は思う。

なにも、いきなり走り出したり、高いところに登ったりしなくていい。

いつもとは違う道を歩く、選ばない色を手に取る、入ったことのない店で買い物をする。過去の出来事を思い起こす・・。

反対に、いつもやっていることをやらないという動きもあるかも知れない。タバコ、お酒・・僕の場合はnoteかも(笑)

引用記事はラブレター

noteのいいところは、誰かと同じテーマで書いていいことだと思う。むしろ同じテーマで書いてくださいと“お題”があるのだし、個人の企画も多い。果たして、自分と同じことを寸分違わず書く人がどれだけいるだろうか。

皆無、である。

だから、書いていい。むしろ書くべき。そこに、批判や怒りを混ぜて、言葉を放り出して満足するような投稿は残念なだけだ、とは思う。

いきなり書けない、と思うなら、まずは読んでみて、共感した話を引用してみたら、一気に楽しくなるはずだ。というのも、引用された書き手は嬉しいし、本文は引用記事のことを要約したり、考察したりすればいい。

どこに共感したのか、書くのはそれだけでいい。

noteは、自分(アカウント)と似ている人が集まってくる。スキを押せば、相手も読みに来てくれることが多い。コメントも然り。だから、記事をしっかり書くよりも、どんどん書いて投稿したらいいのに、と僕は思う。

大事に書きたいことは、慣れてから書くか、何度もリライトしていいと思う。僕も、誤字の修正も含め、こっそりと修正を重ねている。

潔さはいらない(下書き保存)

せっかく書き始めたのがあれば、タイトルも付けずに、あるいはタイトルだけでも下書き保存することをお勧めしたい。僕はあまり下書きを残していないが、人によっては数十本もの下書きがあるという。

多分、初めに書こうとしたことと、実際に投稿するまでには時間もかかるし、考え方も変わる。カレー屋さんの前を通って、明日のランチを決めたと思っていても、夜にラーメン屋特集を観たりしたら、ランチはきっと変わっているだろうから。

書きすぎた(量的に)記事は、一旦保存しておいて、例えば分割して投稿するのもありだと思う。でも、注意したいのは、シリーズもの(前編と後編とか)にすると、途端に読み手は減ってしまうらしい。自分が読み手だったら、確かにそうかもと思う。

読むための時間は、探すための時間ではないことが多い。特にスマホで読む場合には、じっくりと読むというよりは、スクロールを止めずに読むような場面も多いのだ。

まとまらないまとめ

毎日書くには、毎日書かない。という言葉を見かけたことがある。ストックして、たまには休みなさい・・ということだろうか。

一見、優しい言葉だけれど、僕にはそれは怖くてできなかった。書くのが”速い”人じゃないとできないよ・・とも思っていた。

だから、僕は毎日書いている。でも、カッと画面と向き合って書いているというよりも、気がついたらスマホを見ていて、書いていて・・みたいな感じになるといいなと思う(まだそこまでは行けてない)。

個人的には、まとめが苦手だ。

それまで色々書いてきて、結局何が言いたいのか短く教えて欲しい・・という声もあろうかと思うが、それでは折角書いてきたことが、無になってしまう気がするのだ。

じっさい、この投稿を書くのにも時間がかかっているし、結論に至るまでのこの紆余曲折(右往左往ともいう)が、読んで欲しい部分でもある。そうじゃなければ、人間味がないと思うからだ。

僕の好きな哲学者の國分功一郎の著書に、そんなことが書いてあったから、僕も真似をしているのだけれど、ここまで一緒に読んでこなかったら、まとめだけ読んでも表面的な理解に終わってしまうと考えているのだ。

時間帯や場所を決めることも大切だけれど、毎日更新したいなら、毎日投稿するに限る。書くのはもっと前から始まっているはずなのだ。

下書きに書き溜めて、1日の半分より前の時間(朝か午前中)に投稿する。つぶやきでも、短くても、写真がなくても、とにかく投稿し続ける。

良くも悪くも、僕はゴールを描かずに走り出してしまった。だからこそ、ここまで来れたのだと思う。そして、まだまだ背中を追いかけたい人たちがいる。

結局、毎日書きたい。


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