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オオカミ少女だった過去の罪を償った日。

高校2年生の時アメリカに留学した。

田舎育ちの私が海外に興味を持ったのは中学生の時。通っていた中学にフランスから留学生が来たのだ。当時の私は部活とカンチョウで忙しく、留学生については存在くらいしか知らなかった。

そんなある日、廊下で泣いている彼女に出くわしてしまった。そのまま通り過ぎてしまおうと思ったが、目があってしまったら仕方ない。
フランス人だと知っていたのに「サワディーカー」とタイ語で挨拶をした。
これがきっかけで、私達は友人になった。
言葉の壁もあったが、それを乗り越えるくらい馬が合ったのだと思う。お互いの家を行き来するようになり、私は彼女が魅せてくれる異文化世界に興味を持つようになった。だって習慣、価値観、食事、宗教、言葉全てが日常外だったのだもの。

人生は出会いで変わるなんて言葉があるが、私の人生と海外を結びつけたのは間違いなく彼女だろう。
だってこの出会いから数年後、私は留学を決意したのだもの。
若い私には度胸があった。胸もあった。目標達成のための粘り強さや行動力もあった。
そして最強の武器は「無知」だったことだと思う。無知だったからこそ異文化に飛び込み、私は留学を実現できた。



私が留学したのは、アメリカ・オハイオ州のド田舎。当時はインターネットもまだまだメジャーではない時代。通った田舎の高校は99%が白人で、アジア人は私1人だった。
アジア人が珍しいからといって、友達がすぐできる程アメリカは優しくなかった。だって私は英語がほとんどしゃべれない。
高校に通うようになって2~3カ月たっても学校で一言も発さない日が続いた。ランチの時も一人ぼっちだったし、追い打ちをかけるように差別的な言葉もかけられた。

そんな時に支えてくれたのがホストファミリーだった。
彼らにはアメリカの習慣や文化はもちろん、普通に生きていたら触れることのできない他人の「家族のあり方」までも学ばせてもらった。それが今の私の人格形成にもかなりの影響を与えてくれていると思う。もちろんいい意味で。

あれから約20年。
今月私は1つ歳をとった。そして今年もホストファミリーはわざわざ祝いの電話をかけてきてくれた。



留学して半年くらいたつと言葉には不自由しなくなった。そして下ネタ好きが功を奏し、友達がたくさんできた。
私を通して日本に興味を持ってくれる人も増え、日本についてたくさん質問をされるようになった。
母国について聞かれることは嬉しかったけど、問題は彼らの持っている日本の知識だった。
「忍者っているの?」「車ってある?」「テレビあるの?」「猫食べるの?」日本を知らない彼らからの質問はこんなレベルのもんだった。
何度も繰り返される同じような質問に嫌気がさした私は「可愛い嘘」をつくことにしていた。もちろん我が喜びの為に。

忍者がいるかと聞かれれば「よく車に轢かれて道路に転がってる」と答え、猫を食すのかと聞かれれば「日本に猫はいない」と答える。
靴を脱いで家に入るのかと聞かれれば「むしろ靴以外全部脱ぐ」なんて答えていた。
箸の使い方を聞かれれば、仕方なく教えてやるけれど「食事に使っていない時は鼻の穴に収納する」とか、とにかく日本文化を歪曲して伝えまくっていた。皆すっかり可愛い嘘に騙され、「うっそ!?!?」と異なる異文化に目を輝かせていた。

まあ、こんなのは友人間での戯れ言で、記憶に残る限りでは、後でしっかりと嘘だと伝えていた。
そう思っていたのに・・・どうやら歪曲した文化を元通りにせずに帰国してしまった事があったようだ・・・。



ある日のこと、ホストパパは私に「相撲ってどんなスポーツなんだい?」と聞いたそうだ。


私「ダンスバトルだよ。」

驚いたホストパパが聞いた。
「え?ダンスバトル?」
ホストパパの兄は柔道家だったので、相撲もそういった格闘系のスポーツだろうと想像していたらしい。

目の前のチョコレートブラウニーに夢中だった私は「そう、ダンスバトル。」と嬉しそうに答えたらしい。

ホストパパは私がまさかそんなことで嘘をつくとは思いもせずにその情報を鵜呑みにした。
ダンスバトルに興味がなかったホストパパ、そんな彼の相撲への興味はそこで途絶えてしまった。
そして可愛い日本人留学生の嘘を疑わなかった彼は、だいぶ長く相撲はダンスバトルだと信じていたそうだ。
いつ真実に気がついたかは不明だか、先日アメリカで放送されたいた相撲のドキュメンタリーを見て私とのやり取りを思い出したそうだ。
でも一つ言わせて頂きたい。
こんな内容を長く信じてしまうなんて、ホストパパのどたまは大丈夫なんだろうか。

いや、ホストパパのどたまの問題ではない。
ホームステイというものは受け入れる側も行く側も、双方がグローバルな経験ができる貴重な機会のはずだ。私は受け取るだけ受け取り、捏造した日本文化を教えた。国と国、文化と文化をつなぐ任務を放棄したのだ。
立ションが軽犯罪なら、私の行いもきっと立派な軽犯罪。しかも日本の国技、2000年も歴史ある相撲を侮辱した罪だって加わる。
問題はやはり私。しかも全く記憶にないというのが悪質極まりない。

電話を終えた後、私はアマゾンへと猛ダッシュした。
そしてポチリと「相撲の歴史」というを英語の書籍を購入し、ホスト宛へ送った。

これで私の罪は償われたのだろうか。



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