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「計画と無計画のあいだ」を読んで

「自由が丘のほがらかな出版社」、ミシマ社のことを知ったのは、2年前。舞台制作で京都に滞在していた時だった。

あの頃、野村訓市さんの「Sputnik whole life catalogue」を探していて、京都の古本屋さんをぶらぶら巡っていたりしたのであった。

ちなみに、当時まったく京都界隈の古本屋事情を知らんかった私。

京都の京都市役所前にある10マントンアローントコ(いつも思うけど、意味のわからん長い店名)のおっちゃん(かじさん)に、そんな本がありそうな変わった古本屋を教えてもらっていた。かじさんは、左京区では名の知れた人物である。

10マントンアローントコに入ったのは、何故だったか忘れてしまった。(なんでだっけ。)とりあえず、ふと見上げたらビルの二階あたりに本がみえて、なんだかあそこ面白そうだな、と思っていったら本よりレコードがメインに置かれていて、カウンターには昼からビールを飲んでるなんだかよくわからん愉快なおっちゃんがいたのであった。

それ以来、京都に行くと、ふらっとアローントコにかじさんに会いにいくようになった。会いに行きたいなぁ。

舞台のフライヤーも、アローントコやホホホ座に置かせてもらったりしたっけ。梶さんが毎年参加している京都レコード祭りのTシャツもくれた。今ではパジャマとして活躍している。

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(お前井上陽水やん、と言われたグラサン。)

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そんななか、誰に教えてもらったか忘れたのだが、

「『誠光社』もいい本屋さんだよ。」と聞いて、訪ねに行った。

誠光社はアローントコとこれまた全然違う雰囲気で、暑い夏だったのにもかかわらず、お店の中に一歩入ると、そこには穏やかで静かな時間が流れていて、お店の中ではお客さんたちが静かに本のページをめくっていた。

店主の堀部さんは雑誌などにもよく出ているので知っている人も多いのではないでしょうか。

私はというと、なんだか重い荷物を背負って(たしか当時愛用していた真っ黒のTHE NORTH FACE) 汗だらだらでやっとたどり着いた感がすごかった・・・

いや、2018年夏、記録的な猛暑で京都は連日38度を超える異常さだった。

そんなひーこら言ってる私。ゆっくり店内を眺め、民俗学の書などをパラパラとめくり、ふと目に止まったのが

お店のかどっこのコーナーに平置きされていた、益田ミリさんの「今日の人生」だった。

その鮮やかな表紙に目を奪われて、ふと手に取り、

「あ、これお母さんに買っていってあげよう。」

なんだかふと、そう思ったのだった。

大学を卒業してからも、旅に出たり、舞台に関わったり、バイトをしたり、なんとも頼りない私であるからして、親孝行なぞ全くと言っていいほどできておらず、

そんな中でも、私がめげそうな時、しんどい時、愚痴を聞いてくれて、一緒に買い物に行ってくれて、そんな母に、京都土産のひとつでも買って帰りたいと思っていたのであった。

誠光社で「今日の人生」と「Coyote -串田孫一特集-」(この時まで、大好きな演出家の串田和美さんの父だとは全く知らなかった。)

この2冊を買い、京都の家に戻った。

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京都での滞在を終え、帰路につく電車の中、母にあげる本だけどゴソゴソと取り出して読んでしまった。

ミリさんの日々を見つめる視点はとても優しくて、あたたかく、ちょっと切ない。

ああ、この本を買ってよかったな、と心から思ったのだった。

そして、その本にはさまれた、あるものを私は発見してしまったのである。

「ん、なんだこれ。」

そこには、ミシマ社お手製の感想ハガキ(なんと全部手書き・・・!)と三つ折りの「ミシマ社通信」(これも手書き・・!)が入っていたのである。

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デジタルネイティブ(これ使い方合ってるんだろうか。)な世代なのにメールより手紙を愛する私にとって、「手書き」のその紙たちは、なんだか心をふわふわとさせてくれた。

な、なんか、面白い出版社だなー。いいな、きっと、朗らかな人たちが働いている会社なんだろうな。

なんだか、ミリさんの本を出版しているのもうなずける。。。

ミシマ社を知ったのは、そんな出会いだった。

それでも、それ以上ミシマ社のことをじっくり知る機会はなかった。

でも、ここ最近、なんだか色んなところで「ミシマ社」の言葉を目にするような気がする・・・

どこで目にしたのか、いや、ミシマ社が有名になっているからなんだろうが、ともかく私の人生に「ミシマ社」というワードがヒットするようになってきたのだった。

そして、極め付けはこの間読んだ、矢萩多聞さんの「偶然の装丁家」。そのなかで、多聞さんが会う人会う人に「これ読んで!」とすすめまくり、ミシマ社と仕事がしたい!と宣伝しまくっていた頃のことが書かれていた。

これは、もう次はこれを読むしかないじゃないか・・・!

そんな年月を経てたどり着いたのが「計画と無計画のあいだ」だった。

仕事に行く電車の中、マスクをしていることをいいことに、ミシマさんの絶妙なツッコミにケラケラと爆笑し、仕事の休み時間も「いいなあー」と笑い、帰ってきてからベッドで寝転がりながら読んで、結局ほぼ1日で読み切ってしまった。

そこには、ミシマさんの奮闘する様子と、グツグツと煮えている熱い思いと、そこに集ってくる「無法者」のメンバーの愉快な日々がめいっぱい描かれていた。

ミシマさんは、二つの出版社に勤めた後、意を決して2006年にミシマ社を立ち上げる。

https://mishimasha.com/

でも、そこには「事業計画」もない、「決算」もわからない、「とりあえず、つくる・・・・!」の勢いと、ミシマさんがひょえーーーと焦りヒヤリあがきながら、「それでも自分が思い描く出版社で、一冊入魂!の本作りをするんだ・・・!」というエネルギーになんだか面白おかしいメンバーが引き寄せられ、なんだかわからないが一つの冒険をみているようで、とても、とても引き込まれた。

そして、そんな無計画な突っ走りに見えて、ミシマさんは「出版業界」の今を鋭い視点で見てもいる。


思えば、私も今まで「なんだか、違うんだよな・・・」「何か納得できないんだけど、この違和感なんだろう・・・」「いや、ここは譲れないし、おかしいよ!」というなんだかもやもやした気持ちがずっと心の中にあり、

「もう、誰も解決してくれないし、この違和感は自分でなんとかするしかないじゃないかーー!」

と思って、大劇場の仕事を意を決して辞めて、立ち上げたのが「HANAICHI」だった。

ミシマさんの出版業界の事情と、演劇や映画・映像などのエンターテイメント業界の事情は異なるだろうし、そもそも私も今まで見てきたものはほんの一部に過ぎないから、偉そうなことは言えないし、そもそも正しいかとかはわからないが

でも、日本全体、いや、世界全体、仕事の効率化や、数値化、昔からの慣習、インターネットの普及により、「何か大切なもの」がすり切れてきている部分があることは、確かな気がする。


「柔らかに、朗らかに 豊かな日々を。」

いつから掲げたか分からないが、私の中で人生のスローガンのようになっている言葉がある。

固執せず、水のようにしなやかに形を変えて、でも芯は変わらない。

そして、生きる日々、仕事でも、暮らしの中でも、人付き合いでも

「朗らかさ」を忘れたくない。

「朗らかな人でありたい。」

それが、私の人生のモットーだ。

ま、そんなうまく行くことばかりではないんだけど。

それでも、そうありたいと思って、生きる。

それだけで、救われたりする時がある。


「自由が丘のほがらかな出版社」

いい名前だ。

きっと、ミシマさんの熱量と、その思いに引き寄せられる愉快な人たちと、

そんないいエネルギーの輪が大きくなって、ミシマ社はこんな素敵な場所になっているんだろうな、と思う。

願わくば、HANAICHIもそんな人たちの集う場所になりますように。

ミシマさんとミシマ社に、たくさん勇気をもらった。

頑張ろう。

きっと、「熱量」は届く。

いつか、ミシマ社の人たちと仕事がしてみたい。

だから、私は私の場所で一歩ずつ。

力を貸してくれる仲間たちと。

私の冒険を。

船を漕いで行くのだ。


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HANAICHI Website 

 

Photo by Takayuki Sasagawa




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