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自己肯定感は語らない

発達障害について多くの文章を書いていますが、発達障害と併せて語られることの多い自己肯定感については、敢えて書いていません。

今回は自己肯定感を語らないことを語ります。
再帰的な文章です。

自分自身の話を少しします。
僕はコンプレックス(というか願望)は多くあれど、多分自己肯定感は高い方です。
「本当はこれを持てていたらいいけれど、あるもので勝負するしかないよね」と思っている感じです。欲しいのは、歯並びとか、身長とか、学力とか、お金とか。
諦めほどネガティブではなく、腹を括るほど大げさでもない。
ありのままを受け入れている感じで今はいます。


自己肯定感を積極的に語らない理由はいくつかありますが、最も大きい理由は、自己肯定感を手に入れるのは、ある種の「運」のようなものだと思っているからです。

いくらいい話を聞いても、自己肯定感を上げる方法を学んだとしても、本当に心の底から「自分は大丈夫」と思えるかどうかは自分次第。
同じ情報を受け取った時の心の動きが、人によってなぜ違うのか。
それまでの環境が大きかったりします。
結局、運に回帰してしまうような気がするのです。


語っても仕方がない、と思っている節があります。
みんなその時点で最善の選択をしています。周りから見たらもっといい方法があったとしても、本人はいつも最善と思う選択をしているはずです。
それでうまくいかなくて困っている人に、僕が自己肯定感を語ることはできません。
無差別的に語ることが誰かにとってのマイナスにもなり兼ねないとも思っています。これは自分自身がメンタルの専門家ではない点も大きいです。

因みに僕の自己肯定感の元は、環境が9割、自分での発見が1割ぐらいです。だから、ほぼ運です。自分で見つけた1割も9割があったからこそです。

運で得た自負があるので「こうやったら自己肯定感あがるよ!」と言うことは出来ません。
人は偶然得たものでも「◯◯だったから得ることが出来た」と後から理由を見つけてしまいがちなので、気を付けています。

両親やこれまで自分を育ててくれた環境には、最大限に感謝しています。

自己肯定感はまったくの運ゲーなのかというと、完全にそうではないとも思っています。運の要素はかなり大きいかもしれませんが。

僕の場合残りの1割は「苦しみを選んでいるのは自分だと気付いた時」でした。『夜と霧』の影響が大きかったです。
それでさえ運です。夜と霧に出会えたこと、それを置き換えられたこと、肚落ち出来たこと、運だと思っています。

いやいやそれはあなたが頑張ったからだよ、という言葉があったとしても、
頑張れる精神でいられたのはそもそも運が良かったからだ、と謙遜でなく本気で思います。

どんな環境にいれるか、どんな精神状態でいることができるか。
『運』だと思っています。

運が絡むことに
「ああした方がいいよ」「こうした方がいいよ」「自分はこうやってできた」とアドバイスできません。

自分にできることは、大切な人が折れそうになった時にでも「大丈夫」と言ってあげることです。
この人は受け入れてくれるという器も持つ努力をすることです。
大切な人が将来、過去を振り返った時に
「いい環境があった」「自分は運が良かった」
と言えるような環境を『作る側になる』ことが、自己肯定感を語らない自分にできることの1つ
だと思っています。

専門家ではないので、自己肯定感については『語らない』という姿勢が、一番誠実だと思っているのでそうしています。
※自己肯定感を語ることで誰かの力になっている人がいることを否定する訳ではありません。自分のスタンスの話です。

この仕事を通して、安心な環境を作ることに全力を注いでいきたいと思っています。

自分が出来ることをしっかりとやっていきます。

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