見出し画像

親密な映画館

天神のビルが乱立する警固神社方面を歩きながら、左側にはドンキホーテがあり、その前にピザのキッチンカーがあったのを認めた。キャンピングカーを改造して作られたと思しき車内の中には大声で客引きをする一人のツーブロックの男がいた。それに薄黒いサングラスをかけていた。その男の店はかなりの人気店である事を示すかの様にドンキホーテ前の歩道には若い男女が並んでいた。あと二組の四人家族がやってきたら歩道が埋まる勢いだった。確かにいい匂いがする。イタリアのピザ。最近ピザを食べていない事を思い出した。ピザって高いよな。その割に満腹にならないから、最低でも二枚は食べないといけない。そうすると金銭面的な問題が出てくる。よってピザという選択肢が消える。ぼんやりとピザ屋の男の炎天下の中、ピザを作り続ける様子を眺めたのち、その場を後にした。

僕はそのまま真っ直ぐ歩いた。
天神を歩く変人だ。ぼんやりしてると他人にぶつかって殴り殺される気がしたので気をしっかり持って歩いた。昨日妹から貰ったバケットハットが熱中症になるのを防いでくれている気がした。でも少しカビ臭い気がした。

しばらく歩くと僕の今日の目的地である映画館ある場所が見えた。その映画館は最近出来たものらしく小綺麗な場所だった。世間ではミニシアターと呼ばれる場所らしい。僕はあまり映画館に一人で行ったことがないので詳しくないが、商業施設にある大衆を取り込むタイプの映画館とは違った親密な空気感が館内に漂っていた。僕は受付でチケットを買った。それからポップコーンを買おうと思ったが財布に帰りの電車代しかなかったのでやめた。
上映開始の五分前でないと入場することができないとの事だったのでトイレに行き、ひとまず鑑賞中の不安を洗いざらい流した。
僕にとって映画館で映画を観るのは久しぶりのことだった。確か一年前のすずめの戸締まりが最後だったと記憶している。

個室便所から出て手を洗いながら、帽子を被り直していると後ろから声がした。唸る様な何かを訴える様な声だった。僕はそそくさと鏡を見ながら被り直して外に出た。
外に出ると先程までより人が増えていた。
僕は休憩スペースで時間が来るのを待った。
するとトイレのある方からコンビニ袋を右手に握りながらのしのしと歩く白髪の男が現れた。
背中にはボロボロの年季が入ったリュクサックが身体の一部かのようにしがみついていた。
僕はその様子をあたかも偶然視界に入ってしまった体を装って見た。白髪が頬に当たって揺れていた。その合間から見える瞳に黒色を認めることができなかった。彼の右目は真っ白だった。
僕はベンチ座り彼の歩む先を眺めていた。
そして僕はスマホを取り出し時間を確かめ立ち上がった。シアター1を示す案内板に従って歩みを進めた。

天井には幾つものスポットライトがあり、スクリーンにはこれから上映される映画の予告編が映し出されていた。
会場には僕一人しかいなかった。
暗転してしまう前に帽子を脱いでバックからタオルを取り出して汗を拭いた。それから眼鏡を取り出してメガネ拭きで汚れを拭き取り実際に掛けて確認した。視界良好。普段眼鏡を掛けないせいで、いざ掛けてみると自分が本当に子供の頃よりも視力が落ちている事に落胆し世界そのものの色彩の豊かさに驚いてしまう。
一通り準備を終えたあたりで、一人の女性が僕の左斜め前の席に座った。それから数分遅れて右斜め前にまた女性が座った。初めの一人はカフェラテを持って座り、もう一人はポップコーンセットを持って座った。
僕は椅子に寄りかかって予告をしばらく眺めた。この世には幾つもの映画がある。しかしその殆どを知らないまま終わる。
幾つかの興味を惹く予告が終わり、お決まりの映画鑑賞時の警告が流れ始めたあたりで後方から聞き覚えのある足音が聞こえた。足音というのは他人によって違う。その人の姿形が見えなくても、この人だというのが分かる。
白目の男だと思った。
彼は僕の後方から回って左側に通路に渡った。のっしりと地を這うような足取りだった。それに合わせてビニール袋のシャカシャカ音が響いた。彼は前から四列目辺りの場所に腰を下ろした。それからはじっと画面を見ていた。ビニール音はしなかった。
ビデオカメラを頭に被った男が羽交い締めにされた様子がスクリーンに映し出され館内は徐々に暗転していった。右斜め前に女性がスマホの電源を消し、また後方で何かが崩れ落ちるような音がして男の荒い吐息がした。それなら暴れ馬かのような足音を鳴らして駆け込んできたクリーム色の女性が入ってきた。その女性は丁度真ん中辺りの席に座った。
完璧に会場が暗くなった時、
スクリーンに孔子の言葉が映し出された。
映画が始まった。誰一人として迷惑な人間はいなかった。

再び館内に光が戻った。
僕はバックから帽子を取り出し、トイレに行って用を足した。それから外に出て映画のチラシを2枚余分に貰って外に出た。
外に出るとポスターがあった。僕はそれを眺めた後、その場を離れた。

 僕は天神の歩道に出て、少し歩いた。その間ポスターの写真を撮った方がいいんじゃないかという気がした。なので僕は回れ右をして先程の場所まで歩いた。するとあの男がいた。
彼もまた僕のようにポスターを眺めていた。
噛み締めるように手元にあるチラシとポスターを交互に見ていた。それから彼はその場を後にして、僕とは反対側の歩道の方へと歩いて行った。
僕はその道とその先にある夕暮れに飲み込まれていく男を眺めた。それから僕はなんとなく写真を撮るのを辞めて歩き始めた。
良い映画だった。だからイヤホンを付けずに歩いた。
徐々に夜に近づいていく天神には仕事終わりのサラリーマンや強面系お兄さんや大学生の集団やら街の至る所から声と声が入り乱れた形を見失ったものが飛び上がった。すれ違う人の会話の中身の断片が聞こえてくることもあった。
「うちの彼氏がさあ、浮気しててマジできもいわ」
「バイトでさ、まじで小銭ばっかで払うやつだるくね」
「溝口さん今夜もご馳走様です。美味しかったです。」
「あの子クソ可愛くね!やべえよ、あれ、」
都会に溢れる会話はどれも自分の人生とは違ったモノが見えて面白い事を知った。
青嵐の空の下、輝かしいビル群に囲まれた場所で手元にあるエドワードヤンの恋愛時代の2枚のチラシの表と裏を読みながら、次の目的である博多駅まで一人歩き続けた。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

毎日マックポテト食べたいです