桜と薔薇/ストリップとストリップ劇場に寄せて
全国のストリップ劇場がちょっとしんどいことになっている。
嘘ではなく現実として。
人的、外的、いろんなことで……
嘘だと思いたいがどうやらこれは本当にゲンジツみたいです。
ここ数か月ほどいろんなことが起きていて起きすぎていて。
「信じたくない」「ほんまやろうか」
弱い私はまだ現実を認めたくない認められないような、です。
改めて突き付けられている気もします。
〝性風俗〟である、ということを。
それって、あかんこと?! なんかなあ?!
私は、これは、いい意味で、だと思っているし、今も思います。
……なんて、私が言うのは実は全然説得力がないのも事実です。
「舞台」が好きだということがきっかけで観始めました。
物語(ストーリー)、ダンス、メッセージ、
そしてそれを表現する様から滲む彼女ら自身(のようなもの)。
ひとつひとつの作品(出しもの・演目と呼ばれる)は約15分(くらい?)の「作品」であり、
表現する彼女たち自身のような時間と想いのかたまりのように思い、観ています。
今、私にとって、他のどんなジャンルよりも魅了される舞台です。
特に、「推し」、大好きな踊り子さんのそれらは、
人生観や、人生そのものを変えてくれるほどに。
オーバーだけど、オーバーじゃないのです。
しかし、
深く観始めてもう4年(でもまだ4年)にもかかわらず、
私はやっぱり、まだドギマギしてしまうのも事実です。いまだに。
同じ女性として、いや、同じ女性だからこそ、かもしれません。
照れて、美しくて、
女性って、ううん、限定しない、人間って最高だぜ! って、眩しくて。
うん、でも、そうしてまだアワアワとしてしまう私が、
「性風俗だからいい」、だなんて全然、説得力がない、のはある。
でもでも、ね。
〝性風俗〟だから、だからこんなに、多様で、深いんじゃないか。
劇場に通い、行くたびに思うようになりました。
だから、ここは、すべての人を……
考え方も、生き方も、性癖も、どんなひとをも、
受け入れて肯定してくれる劇場であり世界になっているんじゃないか、って。
〝性風俗〟だからこそ一筋縄ではいかないし、
ステージをみせるお姐さんたちからしたら
我々様々過ぎる客席の客に「おいおい」とか「(# ゚Д゚)」とかってことも、
たくさんあるみたい。
劇場の片隅でそのかけらが見えたり、
きっと見えないところで本当にたくさんのことがあるのだろうと思います。このたった4年ほどで姿を見なくなった踊り子さんもたくさん居ます。
でも、そんなだからこそ、
劇場に居る皆が、
例えば本能とかを自制したりし合ったり、
初心者にも居心地いやすいようにしたり、
距離の近い世界ゆえに「エゴばかり」になってもおかしくないやろうに、
応援するお姐さんのことや他のお客さんや劇場のことを想って、
その想いが強すぎるからこそ時に混線したりもするけれど、皆、不器用にも、純にも
「みんなで」「皆で皆とこの舞台を楽しもう」「この灯を消さないように」と守ろうとしている、
そんな「大人の劇場」だということを思わされるシーンを折に触れて感じてきました。
だから、ステージや、ステージ後の〝カーテンコール的タイム〟で、思います。
自分も笑顔になりながら、ふと、場内をみると、
いろんな目的や思いの、
年齢も生きてき方も、近年では、性別も、が、一緒になって笑顔になっている。
めちゃくちゃ胸がいっぱいになります。
そんな風に、まわりをみる私だって、
「中のひとり」だということも気付かせてもらいもしました。
「あんた、ほんまに楽しそうやな」
顔見知りとなった名も知らぬお客さんたちに笑いながら言われること少なくありません。
恥ずかし。でも、嬉しい、めっちゃ嬉しいです。
「このジャンルは芸術か芸術でないか」とはよく言われる。
が、だから、私、は個人的にはあまり「芸術」と言う言葉を使わない方です。
でもこんなに多様で何物にも代えがたい空気となるのは、
ただキレイだけじゃなくいい意味での色々すぎる色々を含め
「舞台芸能であり性風俗」「性風俗であり舞台芸能」だからこそ、なんじゃないか、
だから、おおきな意味で芸術以上かも、と、思っているから。
でも……。
〝性風俗〟であるということ自体が、
今、不条理なものたちによってしんどい目に遭わざるをえなくなっている。
これは紛れもないゲンジツ、みたいです。
コロナがきっかけとなり見えだした様々なことで、
他の舞台や演劇もしんどい目をみている中、さらに、もっと……。
なにが出来る。なにを出来る。足を運びながらずっと考えています。
ここを心の拠り所としている皆がそうだと思います。
お客さんたちは、さらにお姐さんたちは……。
先月初旬、その週で引退を決めたお姐さんのステージを観ました。
最後に作られた作品のモチーフ(の、ひとつ)は「羽根」。
お客さんたちから教わったことがあります。
「踊り子さんは引退の際、最も輝く」
うん。ほんまにきれいやった。内側から光が滲み出ていたように見えた。
プロとしての内面が御自身と皆を照らす光のように見えました。
そんな見えるけど見えない羽根を、
同じ週の共演者の踊り子さんたちと客席の皆が心で受け取っていた。
引退最終日こそ観られませんでしたが、
そんな気持ちと熱と愛を感じて胸がいっぱいになりました。
さらに、ひとつのストリップ劇場が今月20日をもって「閉館」をしました。
この数年、閉館が「詐欺だ」などと言われながらも続いていた劇場が、
なんと、信じたくないけどどうやら、ほんまに、閉館。
その色々な様は映画にもなり、
ストリップを知らない人にも興味を持つ大きなきっかけともなったようです。
私も「追っかけ」で何度か行きました。
その地の独特の空気と、常連さんをはじめとする会場の一体感。
ちょっとびっくりしながらも、すごく印象深かった。いろいろな想い出があります。
私にとって最後の訪問となった日、なによりびっくりしたのは「音」でした。
満員の客席のお客さんが、
踊り子さんのステージに向ける拍手の音、皆の心が一体となった瞬間の、それ。
今、コロナの影響を受け、劇場ではいろいろなことが禁止されたりもしています。でも、だから、こそ。
こんなにたくさんの人が集まり、
声を出せなくても一緒に感動し、「今を楽しもう」「心に残そう」という思いが、こんな熱く大きな音となるんや、って、涙が出ました。
大好きな踊り子さんが「この劇場でやりたい」という気持ちで
持ってきて魅せてくれた出しもの(作品)たち。観られたことと、あの空気、忘れません。
と、「この劇場で出したい」という思いで作られ出され、
これからいろんな劇場へと、なにかをつなぐかのように、想いをこめたかような「新作」。
いろんな気持ちと共に、これからも観て行きたいと思っています。
引退するからきれい、とか、閉館から盛り上がる、とか、……
それはつまり例えば、
消えかけのロウソクの火がぼぉっと燃えるとか、
満開の桜が、だから、散る。散るからこそ美しい、みたいなのと同じなのかもしれません。
ほんまにその通りで、めっちゃわかるし、美しい。
でも、わかるからこそ、悔しさのようなものもあります。
「信じたくないな」「それだけにはしたくないな」「抗いたいな」みたいな。
桜は散るからうつくしい、人はいつか居なくなる亡くなるからうつくしい。
うん、でも、例えばそんな「にほん的な」なんかなんて泣きたいほどにfakkinnだぜ(涙)、
って、胸が熱くなりながら、言いたくもなっている。
例えば閉館にまつわる映画のおかげや、
SNSなどでの盛り上がりで〝ロウソク〟の灯がついた。
でも、だからって、だからこそ、「終わりのはじまり」は嫌、抗いたいぜ、
だってもうこれ以上……って。
最近影響をうけているジャーナリストさんが「パンと薔薇」の話を書いていました。
「あ!」からの「ああ……!!」って思いました。
桜はだいすき、めっちゃきれいや。
でも、薔薇もいいな。薔薇でありたい。いや、薔薇でもありたい、か。
ただ美しいだけじゃない、棘を持ち、ちゃんと「主張」をする花。
つまりだからきっと「生命の花」。「尊厳(dignity)」の花。
いや、野の花もいいな、そう、coquelicot、なんて。これも、こじつけでわざとらしすぎますが。。
でも、すべての花はステージに立つ踊り子さんそのもののように感じてなりません。
そして、私も、私たちも、人間も、そうありたいな、と思ったりしています。
観た事はありますか。行った事はありますか。
初めましてのあなたも、楽しまれているあなたも、
また是非劇場で会いましょう、いや、会いたいです。
こうして声を出すことや、「広く広めたい」が必ずしも正しいことなのかはわからないけれど。
全国の劇場はコロナの感染症対策をとてもとてもちゃんとされています。
と、いまだにあわわわってなる、人見知りで、頭でっかちで、
かつ 清廉潔白な若者でもないくせに「あわわわ」ってなる私が、
でも、それでも、薦めたいなあと思います。
今、楽しまれている方や常連さん、
これまで劇場やお姐さんたちを守ってこられたお客さんや劇場の皆さん。
改めて、よろしくお願いします。私も足を運び、考えてゆきたいです。
人間性と知識とすべとを持つべく学びながら。
そしてそして、お姐さんたち。
どうぞ体に気を付けて、いつまでもいつまでも……と思うけど、
それは贅沢すぎるし客席の客というもののエゴかもしれないですね、うん、きっと。
だから、どうぞ、体に気を付けて。今日も、今日のステージを。舞台に立たれる限り、なんにも出来ないけど(それが悔しいけれど)観てゆきたいです。
うん、また劇場に参ります。
男性も女性も、いやどんな性別も関係なく、
性風俗の見方でも舞台の見方でも、
文化やアート目線でも、
昭和やサブカル・レトロ好き目線でも、
なにより本能的な目線でも、
どんな観方いろんな観方でも楽しめ、
そのことが演者観客の心に届いたりもし、
大きな意味ですべて包み込んでくれる劇場。
どんな観方もそれぞれ否定されるものでなく、
皆が、舞台上の〝ヒロイン〟を中心とした、
(ここ重要ここ大事。主権はいつもお姐さんにある、
〝主役(ヒロイン)〟は数々の試行錯誤と努力と悩みとを経て、
舞台に立つお姐さんなのだ)
自由と表現と大人の世界。
全国にはもう数は少ないけれど、ストリップ劇場があります。
儚さとたくましさと、「生きてるってええなあ」が、あります。
アタマじゃなく「性」、体、本能による、
人間というものの多様さやややこしくもほんまに素敵さを知ったり、
自身のそれに気付いたり、成長したり。
そうして活力をいただき楽しんでいるうちに、
気付けば自分のことがちょっと好きになっていたり、生きてることが楽しくなったり。
そんな最高な場所が、今、
固定観念や思い込みや理不尽な大きなものからしんどいめに遭っている。
でもだからそれでもだから、なくしてはいけない、なくさない。
世間的にはなきものにされ少ないとされるかもしれなくとも、
皆の「精神の死」を招かないために。
すべては私が思う、私の考え方です。他の意見やいろんなことを考えたり思ったりする・している人やそれぞれの目的もきっとたくさん居ると思います。でも、そんな「さまざま」だからこそ、「ええなあ」って。これも、劇場で気付かせてもらったこと。
長々としたつぶやきにお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
そして、「これからも」、どうぞよろしくお願いします。
とある日、朝早くの見知らぬコンビニで、
初めて聴いたアイドルソングにグッときて涙が出ました。
この文を悩みながら練っていた時、偶然に。
行きましょう。ううん。生きましょう。
「最高は終わらない」「最高は終わらせない」
◆omake◆
閉館にまつわるさま……を描いた劇場の映画を観た時の感想はこれでした。
【プロフィール】
大阪の物書きでございます。
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
下町・大衆文化も好きです。
女2人の立ち呑み旅も連載中。現在第9回まで更新中。
そして「大事な場所」にまつわる連載も、始まりました。
普段はラジオ番組やらCMやらの構成作家やライターです。
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ブログ「桃花舞台」の【トップページ】にご挨拶など掲載しました。
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