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輝く女性ってなんやねん

豊橋市、実は ”日本でいちばん女性が輝くまち豊橋”を目指しています。

この「女性が輝く」って言葉、とっても概念的なんですよね。人によって思う姿が違うんじゃないかなと思います。
政策企画の担当者はどう考えているのかな?と、議員になって最初に、当時の企画課課長に聞きに行きました。
すると「古池さん!ちょうどいいところに!今日の新聞に良い記事があるんです。これが輝く女性です!」と新聞を渡されました。
女性が企業をし、表彰されている姿が一面に特集されていました。
「女性って優秀な人多いじゃないですか。こういう人を増やしたいんですよね」

もちろん、それも「輝く女性」の一人です。でも、「これこそが輝く女性」という認識は間違っています。他者が決めたり、評価するものではないからです。

優秀だとか、優秀じゃないとかも関係ありません。誰かの評価があるとか、経済的に成功しているとか、地位が高いとか、ものすごくがんばっているとか、スーパーな存在であるとか。そういうことではなく、日常で、自分らしく、自分の在りたい姿でいられることを「輝いている」と認める社会をめざすべきなんです。

家事・育児・介護。誰かのために、第三者がやらなければならないこと。
これをケア労働といいます。
多くの場合、女性が担ってきました。
女性はやさしいし、母性があるから、ケアに向いている、なんていうジェンダー観もいまだにあります。(令和5年)
同時に、ケア労働は、”お金にならない・誰でもやれる・価値がない仕事”として扱われてもきました。
経済発展を下支えしてきたのは、まちがいなく、この無償のケア労働なのに。

女性がする仕事だから、価値が評価されないでいるのか?そもそも価値がないと社会が考えている仕事だから、女性が担っているのかはわかりません。いずれにしても、資本主義社会の中で、このような労働はお金にならないとされていました。

「輝いている」を他者が評価する社会は、「輝いていない」も他者が評価する社会です。例えば、家庭でケア労働を一手に担っている女性、彼女が新聞で一面TOP を飾った女性起業家と同じように輝いていると考えられていたなら、いざ仕事に就こうとしたときに経歴として評価されるはずです。主婦の仕事が、地域での活動が、こんなにも経済的に評価されないはずがありまん。

男性の育休取得がなかなか進みません。
男性が「輝いていない」「価値がない」と思われているケア労働をするとき、給与が減る、キャリアが途絶える、人がいない、そのようなことばかり言われますが、女性はずっとそれをやってきたんです。給与も減り、キャリアも途絶え、代わりの人がいないからひたすら頭を下げ続ける・・・・

この状態を変えるためには、ケア労働の価値を認めることが大事です。
「輝いている」「輝いていない」をこれまでの社会基準での「成功」「価値」で判断しないような価値観を育てる必要があります。

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