私の大人時代② プレ更年期とアーユルヴェーダ

プレ更年期

長女と次女の小学校受験が終わった38才くらいの頃、どうしようもない不定愁訴がはじまりまった。ママ友に勧められて、婦人科でホルモン検査を受け心療内科へ行っても、病名や原因はわからない。
食欲がない、家事に手がつかない、イライラする、涙がとまらなくなる、ビールがやめられなくなる・・・・。そのうち、その辛さがまったく伝わらない夫への怒りと不満が爆発するようになった。私の苦しみを察してくれない子ども達にもあたるようになった。
喧嘩する両親を見て育ったので、絶対にしたくないと思っていたのに、かつて暴れていた父のようになっている自分がいた。子どもたちのためによくないと自分を責め、毎日死にたいと思っていました。自然療法や自然な暮らしを実践していたけれど、授乳も妊娠もない私は子どもの身体に害がなければ何をしてもいいと思い、精神科で安定剤を処方してもらうようになっていた。病院も、先生と合わずに数件転院した。安定剤を飲むと苛立ちや怒りはなくなるけれど、楽しいことや日常のやる気みたいなものも奪われて、それはそれで苦しく、途中から怒りや苛立ちがあっても、楽しみややる気も感じられる方を選択し、薬はだんだん飲まなくなった。気分と体調の起伏が激しく、苦しい時期で、42才くらいまで4,5年続いた。

いまになって振り返ると、この時一番つらかったのは、夫との分かり合えなさだったような気がする。ASD夫を持つ妻のカサンドラ症候群というものを本で知り、そんな風だったのではないだろうか。

アーユルヴェーダとの出会い

その頃、支えになったのが、アーユルヴェーダだった。

アーユルヴェーダとは東洋の伝承予防医学で、私が門を叩いたのはマハリシアーユルヴェーダクリニックで、蓮村先生の診察を受けた。
私の体質があること、体質に合わせた生活が必要であること、早く寝る事、できたことを3つだけ毎日記すこと、ビールは昼に飲むこと、など小さな知恵をすこしずつ、すこしずつ教えてくれる先生だった。

通い始めたアーユルヴェーダの料理教室やお茶のお稽古にも救われていた。家だと怪獣のように混乱してしまう私も、外では普通に振る舞える。いろんな年齢のいろんな環境の人がその時間だけ集まって、おしゃべりしながら作業したり、お稽古して、美味しいものを食べる。そうした時間が心を癒す。今風に言えば、サードプレイスだ。
そして数年後には、自分でもそのサードプレイスの場所と時間を提供したい考え、アーユルヴェーダの料理教室を月に2回ずつスタートし始めた。ブログも始めた。それまで沢山の情報を学び、手に入れようとして、いっぱいいっぱいになって暗く長いトンネルの中に入りこんでしまっていたので、持っているものを放す(はなす)ように人に話す(はなす)ということで、自分を解き放ちたいと願っていた。

料理教室の主宰とともに始めたのが、裁判所での民事調停員の仕事だ。
家庭にいると子どもの言動が自分の成果のような錯覚に陥って苦しくなる。私個人の役割、私個人の時間を得ることにしたのだ。司法サービスでありながら、法律によって裁くのではなく、お互いが譲りあって話し合いによって解決することの手伝いをする仕事は、カウンセリングのようで、私自身の経験が少しでも役立てばとやりがいと役割を感じられるものだった。

アーユルヴェーダ料理教室、茶道教室、民事調停員の仕事は今でも続いている。


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