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小山田よぉ、謝るにしたってこれはないって。なぜ批判されているか、まだわかってないんだろ?ん?

個人的に思うこともあり、先ほど別の記事を1本配信したばかりなのだが、更にもう1つ上げることにする。

東京五輪が大騒ぎだ。しかも懸念されている新型コロナウイルスに絡むものではなく、そこで流される楽曲を作った小山田圭吾が、学生時代に障害者の友達をいじめていたことをインタビュー記事で「自慢げに」語っていたことが、改めて問題視されているのだ。
現在、スポーツだけでなく音楽、海外とジャンルを問わず批判記事が乱れ飛び、随所で大炎上状態になっている。


★フリッパーズ・ギターが好きになれない30年だった★
大変心苦しいが、毎日新聞の記事になる。


小山田圭吾さん、過去の「いじめ告白」拡散 五輪開会式で楽曲担当
毎日新聞 2021/7/15 19:59(最終更新 7/17 01:31) English version 561文字
クイック・ジャパン(1995年3号)に掲載された小山田圭吾さんのインタビュー記事=東京都千代田区で2021年7月15日、北山夏帆撮影拡大
クイック・ジャパン(1995年3号)に掲載された小山田圭吾さんのインタビュー記事=東京都千代田区で2021年7月15日、北山夏帆撮影
 東京オリンピックの開会式の楽曲を担当する小山田圭吾さんが過去に雑誌のインタビューで長年にわたって同級生をいじめていたと告白していたことを巡り、15日に「いじめ自慢」としてツイッターでトレンド入りするなど「炎上」状態になった。組織委員会が14日に開会式の楽曲を小山田さんが担当すると発表していた。
 炎上の発端となったのは、小山田さんが楽曲を担当することを疑問視するツイート。ツイートが根拠としているのは、「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)と「クイック・ジャパン」(95年3号)に掲載されたインタビュー記事2本。小山田さんが通っていた私立小学校から高校で、障害者とみられる同級生2人をいじめていたと明かしたとされていた。
https://mainichi.jp/articles/20210715/k00/00m/040/254000c


まず、小山田圭吾とは何者か?から話を始めたい。
おいらと同年代くらいの方なら、1990年にTBSのドラマ「予備校ブギ」のOPに起用された「恋とマシンガン」がヒットしたフリッパーズ・ギターの片割れだった、と言えばああ、あの!と思い出されるだろう。
このバンドは一時5人組になっていたこともあるのだが、メジャーデビュー前の時期に小山田が事故を起こした件に絡んで?3人が脱退、以降は小沢健二と二人での活動となっていた。「恋とマシンガン」はその時代のヒットだったというわけだ。


YOUNG, ALIVE, IN LOVE - 恋とマシンガン - / FLIPPER'S GUITAR【Official Music Video】
https://www.youtube.com/watch?v=bJxajh5XOgE


まぁ、彼らが音楽活動に入った頃、おいらも物書き業の修行をしていたので存在だけは知っていたのだが、幸か不幸か直接彼らと仕事をしたことはない。
だが、後に渋谷系と呼ばれるようになる「平成の意識高い系」の走りとして、汗をかかない、サンプリングで他人様の音を平気で借用する、といった「小賢しい」感じがとにかく嫌だった。
フリッパーズ・ギターが解散した後、小沢健二がソロで渋谷系路線を確立していく中、小山田の方はCorneliusというソロユニットの形で音楽活動を続け、二人が再び相まみえることがないままとなっている。このCorneliusも映画「猿の惑星」に登場するチンパンジーの名前で、これがまたものすごく知識をひけらかしている感じがあって、やはり嫌悪感を増幅されていたものだ。なんだかこう、恥ずかしくて普通やらないよなぁこういうこと、という部分を前面に押し出してくる感じ、どこか自画自賛の臭いがして、側にいて欲しくないタイプだったと言えばわかっていただけるだろうか?

何にせよ、この二人はいきなり解散し、その後まったく復活する様子を見せなかった点にはずっと違和感があったのだが、その答えがわかったのがこの盗作だった。


小沢健二 - ぼくらが旅に出る理由(Single Edit)
https://www.youtube.com/watch?v=YR_2jMtBD6w


Paul Simon - You Can Call Me Al (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=uq-gYOrU8bA


これほどパクり元が「隠せない」下手くそな盗みを平然とやるような奴だからこそ、小山田は袂を分かったのだな、と理解したのだ。特に、小山田はヘビメタ方面へも独特のアプローチを見せるなど、独自路線を極めようとしていたので、余計に小沢のような薄っぺらい感覚にはついていけないと感じた、そういわれても不思議ではなかったのだ。
だが、じゃあ小山田の音楽を受け入れられるのか?と問われればそれも違うと答えるしかない。常に隙間を狙っている感じがあって、それが鼻について仕方がなかったのだ。
一時、元YMOの細野晴臣のライブ活動に参加などもしていたのだが、やめてくれ、御大をそっちの世界へ引きずり込まないでくれ、と心の中で懇願していたほどだ。

もちろん、こういう距離感でいたのだから、小沢だけでなく小山田に対してもいいリスナーではなかったわけだが、今回のいじめ騒ぎはおいらにとっても「なぜこいつが嫌いなのか」をはっきり示す一件になっている。だから慌てて記事を書いて今、ということなのだ。

★昭和にいじめは付き物?いやいや、ちょっと待てよ!★
小山田圭吾が問題になっているいじめ報告(あのインタビューに漂う臭いは、決して告白なんて生ぬるいものではない)が世に出たのは、ロッキングオン1994年1月号とクイックジャパン1995年3月号のことになる。
掲載自体は今から26、27年前のことになるが、ロッキングオンの内容をフォローしている個人ブログがあったので、この場を借りて紹介したい。


孤立無援のブログ - 小山田圭吾における人間の研究
https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1


小山田は和光学園で小学校から高校までを過ごしている。この学校は、芸能人や有名人の子供が多く通っていることでも知られているのだが、小山田も和田弘とマヒナスターズのメンバーだった三原さと志の息子という背景があるので、それが理由でこの学校に入学していたと思われる(実際どうだったのかなどは知らないが。けっこう複雑な家庭環境ではあったようなのでね)。
和光学園は各学年2クラス規模で運営されているとのことで、昭和でこういう環境は珍しかったはずだ(横浜の田舎小学校だったおいらでさえ、40人の6クラスがデフォルトだった)。なので、同級生の顔はみんな知っている、というような人間関係で12年を過ごしていたと言っていい。
更に変わっているのは、障害者であっても特別学級で教育するような手法はとられず、彼らも健常者と同じ教室で過ごしていたということだ。現在、小山田は学校時代のいじめや暴行で批判されているのだが、それが起きやすい学校だったと見ることもできそうだ。

おいらの場合で言えば、小学校までは別の教室で特別なカリキュラムにより障碍者教育が行われていたが、中学はそれがなくなり、2年の時に今でいう発達障害の女の子が同じクラスになったことがある。40人以上の中でたった一人という状況だったのだが、毎日気を使って大変だった。できるだけ側にいかないようにしていたし、授業で同じグループになるような時は、ほとんど先生になったような気分であれこれ世話を焼かなければならなかった。
もちろん、全員がそういう対応をしていたわけではなく、中にはからかったりする奴もいたのだが、大抵は誰かがそれをたしなめるような形で場を取り繕っていた。暴行だったり、小山田のようにクソを食べさせるなんて話も聞いたことはなかった。

だから、まず声を大にして言いたいのは、昭和では小山田のような蛮行がどこの学校でも普通に起きていた、という擁護の声に対しては、耳を傾けないで欲しいということだ。
もっと昔、昭和20年代や30年代の学校がどうだったのかは知らないが、少なくとも40年代、50年代はおいらが知る限りそうだった。そもそも、いじめなんて言葉が教室で聞かれること自体がなかったのだからね。

そういう記憶しかないので、小山田のインタビューを読んだ時の衝撃、というか気持ち悪さはよく覚えている。今よりも遥かに本に対する意識が強かった時代なので、え?こんなことを雑誌で話しちゃっていいのか?という衝撃があったほどだ。だから、本屋でロッキングオンを買おうとしていたのを、やめてしまったほどなのだ。胸糞悪くて、耐えられなくなるとわかったからだ。

もちろん小山田には小山田の言い分もあるのだろう。
例えば、クソを食わせていたのは俺だけじゃないとか、和光の連中みんなが普通に障害者叩きをやっていたんだからとか、ね。
ある意味、隔離された環境にあったので、小山田にはおいらのように気を遣って接するという意識そのものがなかったことも、今なら何となくならわかる。異常な環境しか知らない人間に、一般的な世界の道理を説くことは難しい、その典型例が和光における小山田だ、と言ってもいいのかもしれない。
だから、批判を受け、慌てて出した謝罪文にも、どこか「なぜ謝らなければならないのか?」がわかっていない節が漂っているわけだ。
大変心苦しが、朝日の記事になる。


小山田圭吾さん謝罪文全文 自身のツイッターに掲載
https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin-2020/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%9C%AD%E5%90%BE%E3%81%95%E3%82%93%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E6%96%87%E5%85%A8%E6%96%87-%E8%87%AA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AB%E6%8E%B2%E8%BC%89/ar-AAMdY2l?ocid=uxbndlbing


しかし、よくもまぁ、できることなら直接いじめた相手に会って謝罪したい、なんて心にもないことを言うもんだよなぁ。聞かされたこっちも、そんなことできないってわかっててお前、言ってるだろ?としか言えないもの。こういうところなんだよな、小山田は事の本質が見えていない、と感じさせられてしまうのはね。

★このタイミングで撤退はできない、だがベストでもない、よね?★
7月23日に東京五輪は開幕する。
だが、その時まで何も進めていないわけではない。演奏者への楽譜配布やリハーサル、音源などの調達や準備を考えれば、もはや小山田で押し切るしか手がないと言うべき刹那にあるだろう。引き返すことはもちろん、代役を立てて曲を練り直す時間など実際残っていないはずだ。
なので、辞退を口にしようとする小山田を五輪の委員会?だか何だかが必死に止めたという話も理解はできる。だって、もう2週間ないんだよ?会社の飲み会レベルならまだしも、4年に1度の五輪で、しかも1年延期された東京五輪という曰くつきのね。これ以上のアクシデントになど耐えられない、それもよくわかる。

だからこそ、小山田の起用を決める際に、きちんとどういう出自の人間なのかをチェックしていたのか?が責められるわけだ。世間から仕事をしていなかったと言われても、反論などできないはずだ。何しろ、批判が起きた段階で調べ始めただけで、小山田が何をやってきたのかなどこの記事くらいは簡単に収集できるのだ。おいらが腹を立てているのは、まさにそういう所なのだよ。

なので、そういった不手際までをも全部含めて小山田がもう一度謝罪する、そして「お怒りなのは重々承知の上で、反省といじめていた相手へのリカバリーは五輪終了後に必ず果たします。ですが今回だけは、もう時間がないという事情をご理解いただき、このまま自分の曲を使わせてください、おなしゃす!」と公開生土下座をする、そのあたりがベストな落としどころなのではないかと思うのだ。
何しろ、謝罪文自体もツイッターで配信し、手軽に終えようとしている臭いが既に鼻についているのだ。もっと世間が小山田圭吾の何を嫌ったのか、を真摯に考えなければダメなのではないか?と思う。

もちろん、そこまでやったとしても、おそらく小山田が失地回復する機会は巡ってこないだろう。もはや、日本国民の脳裏には「小山田と聞けば障害者にクソを食わせたクズ」と深く刻まれたからだ。ベッキーや矢口と同じように、常に後ろ指を指されて生きていくことになる。もちろん、同情なんてしない。個人的には、このまま引退でも全然OKだ。以上。

★2021年7月19日追記★

【今日の遅かりし由之助】ここまで引っ張ってから辞任するなら、そもそも無駄に突っ張るなよ!逆に大迷惑だ。五輪テロか?【速報】小山田圭吾が遂に辞任!!本人たちの高い倫理観は世界や日本では認められなかった!!倫理観が低い理由もヤバすぎる!! https://www.youtube.com/watch?v=0BM0m3lGGmE

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