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父が酔っ払った話

こんばんは、初めての投稿からなんと3ヶ月も空いてしまいました。
(ちなみに写真の場所は今回の徒然には全く関係ないので悪しからず)

その間、実はいろいろありまして、
まずは転職しました。

ただいま絶賛有給消化中でございます。
そして引っ越ししたり、前職(まだ現職か)と退職前に大揉めたり、。

その話はまたおいおい書いていこうと思います。


そんなこんながあり、有休初日の11月中旬から数日、
九州の実家に帰っておりました。

母方の祖父母と、母の姉カップル(以降伯母)と、私の家族でBBQ。

コロナもあり、それぞれ各地方にバラけているのもありで、
数年振りに大集合でした。


家でやるBBQほど勝手が自由なものは、まぁ、ないですよね。
祖父も父も弟もみな呑兵衛なので、序盤からビールハイボール焼酎ワイン
どんどん空瓶・空缶が増えていき、おまけに食い意地もすごい。
父も弟も遠慮なしに焼き上がった肉を我先にと口の中へ。

伯母の彼氏さんはびっくりを通り越して少し引いてましたね。笑



男連中が盛り上がってくると、私と祖母はいつもこっそり家の中に移動して、
祖母の創作物を見る時間を作っていました。

祖母は物作りが大好きで、
私用のマスクを1つや2つでなく一気に10個くらい作ってくれたり、
ジーンズ生地のスボンを作ってくれたり、家のカーテンを作ってくれていました。

今回はなんとスマホ入れを自作。
なんでも祖父が携帯を持ち歩いてくれないから、
首から下げれるようにと作ったそう。

布は着物の帯で、茶色味がある少し地味めで今っぽい感じではないけど、
なんとなくいいなと思ったので
「私も欲しいー」と言ったら、
「じゃあ作って送るね」と即答。

そんな話をしていると用を足しにきた弟と母がひょっこり部屋に入ってきて、
自分達の分もお願い、と。
祖母は「忙しくなるねぇ」と言いながら嬉しそうでした。


話もひと段落して、父たちのところに戻ると祖父も父も立派に出来上がっており、
二人とも呂律が回っておらず、今にも椅子から転げ落ちそう。
見てるこっちはハラハラ、当人たちはヘラヘラと。

あぁ、いつもの風景だなとこのタイミングで懐かしさを感じました。


しかしその後、耳を疑うような発言が聞こえてきたのです。

すっかり酔いちくれた父は叔母の彼氏さんに向かって
今まで聞いたことない子供みたいな声で、

「おにぃさぁん」

と一言発っしたのち、眠気に負けたのか、前のめりになって椅子から落ちそうだったので、おにぃさんと弟に車の中に連行され、そのまま就寝。
その間も何度かオニィさんと呻き声が聞こえていました。笑


父はとても厳しく、何を決めるのにもいつも反対する人で、
高校を決めるときも部活を決めるときも、今回の転職をしたという事後報告したことに対しても、100%否定されてきました。
(転職に関しては私がずるいのかも)

正直、社会人になった今でも父に対して良いイメージがありません。

なんですぐ否定するの

なんで最後まで話を聞いてくれないの

物心ついた時から父に対して口に出せなかった数々の想い。
自分に自信を持てないのは否定されてきた環境のせいだと
思っていたときもありました。

でも、そのときふと父の子供時代の話を思い出しました。

父は一人っ子で、女親一人でした。
片親で稼ぎも少なく、
メロンと教えられていたものが実はスイカだったことを、
同級生の女の子に指摘された時は屈辱だったと言っていて、
怪我したら怒られるから黙っていたら、
傷が悪化してより怒られたとも言っていて。

普段の私なら、
父のこんな姿を見たときいい歳してみっともない、最悪と感じていたと思います。
(実際少し思いましたが)

でも、なぜだがその日だけは、
父は男兄弟に憧れていたんだろうなと、
父の愚行を受け止める、、までは出来ないけど軽く受け流すことができました。

子供のよくある失敗を見守る親の気持ちってこんな感じかなと思ったりしました。
意味分かんないですけどね。笑


そんなこんなで無事に解散し、次の日にはいつもの父に戻っていました。


子供は子供で一人の人間として育てるべきなんて声があるけど、
親には親で、その責を知らずのうちに課すだけでなく、
人間らしく生かしてあげないといけないなと思えた日でした。



長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回の徒然をお楽しみに。



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