見出し画像

求めているものは「共感」か「意見」か

話を聞き出すことで、成長を。

相手に求めているのは「共感」か「意見」か
この違いを明らかにすることは自分の居場所を見つける第一歩になるのではないだろうか。

考えや悩みを人に話した時、分かってもらうことを欲して一生懸命話そうとする。その時の相手の反応として、少し違和感を覚えてしまうことがあった。

「わかるわー」

いや、なにが分かったのだろうか。何も分かってないが分かったフリをして人に、場に合わせているように聞こえるのはおかしいのだろうか。(この時は「分かる」ではなく「知る」というニュアンスを持っている)分かってもらう共感を求めていない時は特にそう思わざるを得ない。

確かに、話している時点で分かってもらおうと相手に共感を求めているから必然的にその反応を取るのは正しいのかもしれない。また、その人の優しさでもあるから、表面上でも受け取ってくれてありがとうと思えばいい。

そうすれば、その方が人に話すことに抵抗感を抱きにくく、幸せでいられる。だが、分かってもらうより、議論に近しいことを話したほうがお互いの内面を双方が誤解なく認識することができる。時間をムダにせずに自分も成長できる。簡単にそうは行かない。

ときには聞いてもらうだけのほうが良かったりするから余計に混乱する。

なぜ、この疑問を抱いたか。雑談ではこうして、会議ではこうして、と話分ける容量がまだ足りないことからだ。皆は割り切っているのだろうか。息抜きは必要だ。余裕を持てるから。

認める、受け入れる。話を聞いて、共感するより先に肯定する返答を。

分かってもらうことに越したことは無いだろうが、分かってもらえなくても相手が思う考えを出してくれて、新しい考えを知ることができることに嬉しさを感じる。押し付けは違うが、提案はその後を左右する。

話すだけじゃもったいない。第三者の考えを引き出し、固まった思考をアップデートする。

知ると分かるは似ているようで似ていない。知って、そこから何がどう分かって、どういう意見を持っているかを話すことで初めて分かるになる。

何に対して共感を求めているのか、そもそも共感を求めていないなら、話をこちらから聞き出せば求めていた意見が得られる。そうすることでその場の違和感は少しばかり減る。

共感か意見か

その場を自分の居場所にできた時、求めていることとあったことが一致したときだ。

最後まで読んでくださりありがとうございました🐾