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呪文だけでは十分じゃないんだよ / J.K.ローリング『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』

言語化の練習をし始めたので、ここ最近、言葉と思考と行動の相互作用について、ぐるぐると考えている。

たしかに素敵な言葉はいくらでも見つかるし、それを深堀りするのは楽しい。

でも、いくら本を読んだり映画を観たりして、良い言葉や考え方にたくさん出会えても、それはただ枠組みを知っただけであって、実際にそれを現実世界で実践して、正しく有効に使えるかどうかはまた別なんだよなぁ〜

素敵な言葉に出会って感動したり考えることがゴールじゃなくて、私は現実の、生活の中で実際に使って、問題解決がうまい人になりたいんだよな〜

英語を勉強してTOEICで満点取りたいわけじゃなくて、ただ隣にいる外国人と友達になりたいだけなのに、みたいな。

…と、もやもやしながら考えていたら、大好きなハリーポッターが浮かんできた。なにかが似ている気がする…。忘れないうちに言語化!(寝ろ)


まず、ハリーたちはホグワーツでたくさんの魔法を覚えるけれど、それは決してテストのためじゃなくて

本当の目的は、闇の魔術に対する防衛術をはじめいろんな魔法を学んで、一人前の魔法使いになって、仕事や生活でそれを活かし、自分や大切な人を守ること。悪に屈することなく、平和な世界を築くこと。(スリザリンの一部性悪たちは別)

そういえば「魔法の呪文」は英語で "spell" だけど、"spell" には「正しくつづる」という別の意味もあるらしい。呪文も、正しく言えないと効果がないのかな?

『賢者の石』でガリ勉のハーマイオニーが、まだ仲良くなる前のロンに向かって「正しくはレヴィオーサよ!あなたのはレヴィオサー!」と発音をキッパリ訂正していたけど、あれは笑うシーンではなく、意外と核心をついたシーンだったのかもしれない…

原作を調べたら、「妖精の魔法」の授業のフリットウィック先生もこう言っていた。

「呪文を正確に、これもまた大切ですよ。覚えてますね、あの魔法使いバルッフィオは、『f』ではなく『s』の発音をしたため、気がついたら、自分が床に寝転んでバッファローが自分の胸に乗っかっていましたね」

J.K.ローリング/松岡佑子訳『ハリー・ポッターと賢者の石』(1999、静山社、p.250)


発音とは違うが『アズカバンの囚人』で、闇の魔術に対する防衛術のルーピン先生が、まね妖怪ボガートの授業のときに「呪文だけじゃだめ、想像することが大事」みたいなことを言っていたような気もする…

まね妖怪を退散させる呪文は簡単だ。しかし精神力が必要だ。こいつをほんとうにやっつけるのは、笑いなんだ。(中略)初めは杖なしで練習しよう。わたしに続いて言ってみよう……リディクラス、ばかばかしい!
(中略)
そう。とっても上手だ。でもここまでは簡単なんだけどね。呪文だけでは十分じゃないんだよ。

『アズカバンの囚人』(2001、p.176)


まね妖怪は、形態模写妖怪で、目の前の人間が一番怖いものに姿を変える。つまり「恐怖」そのものを表している。その退散方法は「笑い」なのだけど、笑いの呪文をただ言うだけでは意味がない。精神力が必要。

※なお、映画で確認したところ、ルーピン先生は呪文を"spell"ではなく"incantation"と言っていた。微妙に意味が違うらしい…

まね妖怪はつぎつぎに君たちに向かってくるだろう。みんな、ちょっと考えてくれるかい。何が一番怖いかって。そして、その姿をどうやったらおかしな姿に変えられるか、想像してみて……

(p.178)

「どうしたら笑えるのか?」という想像力も必要。
やっぱりただ魔法の呪文を言うだけじゃダメなんだ。

もしかしたら、ロンがあの入学初日、ホグワーツ特急でネズミを黄色に変えられなかったのは、双子に教わった呪文が間違っていたわけじゃなくて、ただ想像力が足りなかっただけなのかも。(あのふざけた双子のことだからそんなわけないか)


ルーピン先生は、おそろしい吸魂鬼(ディメンター)に狙われやすいハリーのために、その退散呪文である守護霊(パトローナス)の出し方も特別に伝授。

「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる。(中略)この呪文は君にはまだ高度過ぎるかもしれない。一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほどだ」
(中略)
「どうやって造り出すのですか?」
「呪文を唱えるんだ。何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」

(p.309)

呪文と共に、渾身の力でイメージしなければならない。あとはもう練習あるのみ。


現実世界もそうじゃないか?

いくら闇の魔術(人生の苦しみ)に対する防衛呪文(素敵な言葉や考え方)を習ったところで、先生(他人)のマネをしてただ呪文を言うだけでは不十分。

呪文(言葉や考え方)を正しく使い、精神力と想像力を働かせて、ほんとうに自分のものにできなければその魔法の効果は発揮できない、ということなのではないか?

ハリーポッターを調べなくとも最初から分かってたことだけど、魔法使いであれマグルであれ、結局はたくさん練習して自分のものにしていくしか方法はない。

簡単に魔法を身につけられる魔法は、どこにもないということだ。


そして、呪文を言うこと自体が、自分自身に魔法をかけることになっている気がした。

例えばアロホモラは、「アロホモラ」と口に出して言うことで、「鍵が開く」イメージが自然と頭に浮かんでしまう呪文、みたいな。

「きっとうまくいく」と口に出して言うことで、そのイメージが頭に浮かんで自分に魔法がかかって、本当にうまくいく、みたいな。

ダンブルドアとかヴォルデモートクラスは呪文を口に出さずとも杖なくともすごい魔法使ってるけど。

日本語でも「言霊=言葉に内在する霊力」って言うもんね。この不思議な魔法を、昔の人たちはとっくに知ってたんだ。やっぱり言葉ってすごい。 

「思考発」の言葉や行動、ではなく
「言葉発」の思考と行動。

呪文を多く知っていることは、偉大な魔法使いの必須条件。だから大人はみんな「本を読め」「勉強しろ」って言うんだな。結論だけ言わずにそこまでしっかり説明してくれよ。




すこし呪文からは逸れるが、『秘密の部屋』のこのシーンが私は一番好きだ。

「それじゃ、僕はスリザリンに入るべきなんだ」ハリーは絶望的な目でダンブルドアの目を見つめた。(中略)
「『組分け帽子』が僕の中にあるスリザリンの力を見抜いて、それで」
「君をグリフィンドールに入れたのじゃ」ダンブルドアは静かに言った。
(中略)
「僕がスリザリンに入れないでって頼んだからに過ぎないんだ……」
「その通り」ダンブルドアがまたニッコリした。
「それだからこそ、君がトム・リドルと違う者だという証拠になるんじゃ。ハリー、自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」

『秘密の部屋』(2000、p.488)


「自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするか」

どれだけたくさんの言葉を覚えたか?上手に使えるか?じゃなくて、どんな言葉を選ぶのか?を大事にしようと思う。

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